「明日、突然市場がなくなるとして、備えは出来てるのか?」

父親と長電話する機会があった。父親はとかく話が長く、周囲の人がちょっと飽きちゃうくらい長話をするのだけども、私と電話するときも平気で2時間くらい話していたりする。そんな父親とは今でも仕事の話をしたりするのだけど、ふとしたことから父親の営業担当時代の話を聞けた。結構面白かったので、ところどころぼかしながら書いておく。

●既存の市場にこだわっていては将来が厳しいと思ったということ。

父親はある木質の板を製造する会社に勤めていた。
京都にある私立大学を卒業後、その会社に就職してから営業で20年弱、勤めていた。26歳の頃から、親父は大きな予算を持って、そのある木質板を販売する役割を負っていろいろと頭を悩ませていたそうな。(当時はそれこそ、30歳そこそこで課長になるような時代である)
その木材は木質チップを接着剤で固めて熱プレスで板に成形する材料なのだけど、(ここまで書くとどういう材料がわかる人にはすぐわかるんだけども)この材料を広く市場に販売するにはどうすればいいのか、ということを常に考えていた。その他の合板は主に建築材料に使われることが多いので、主なお客さんは建築材料を取り扱う材木問屋が中心だったのだけど、そういうところで販売するよりも、もっといろんな分野で使ってもらえないかということを当時、父は考えたらしい。今からかれこれ、34年前の話である。1980年初頭の話。


●ただ、安いだけではなく、既存の材料を上回る製品価値を見出し、提案する

まず考えたのは、この板の密度が通常の板よりも密度が高く、スピーカーボックスに使えないかということを考えたそうな。当時はまだレコードで音楽を聴くのが普通の時代、CDが世の中に登場するちょっと前の話。これからはそういう製品が世の中に出てくるかも、という時代にあって、スピーカーボックスにどういう板を使うか、というのは音質を左右する、比較的大きなファクターを占める話だったそうな。

●材料営業は顧客の信頼を得るためにスペックや専門用語、業界トレンドを知る必要がある

父は市販品を取り扱うオーディオ屋を巡り、あれこれと販売されているスピーカーの裏側に回って寸法やら何やらを調べて市場の寸法トレンドを調査し、世の中でスピーカーを作っているメーカーへかたっぱしから回って、この材料を使えば今使っている材料よりも密度が高く、よい音になりますよ、と売り込み、なおかつ、この材料は価格も安かったため、次々と製品を置き換えることに成功したそうな。ここに既存の建築材料市場以外の市場開拓に成功するに至ったわけです。

●市場は突然なくなる

せっかく立ち上げた市場ではあったのですが、この手の材料ではよくある話だそうですが、オーディオセットの組み立てはその後、海外に移っていき、CDなどが出てくるに従って、プラスチックの成形材などでスピーカーボックスが作られることも増えていき、海外の材料に浸食されたりで市場は急激になくなっていたっそうです。材料の密度としては木の板よりも木質板のほうが、さらには木質板よりもプラスチック板のほうが密度が高かったのだそうな。

●種まきは常にしておく

そんな中で、次の市場として学習机市場にこの材料を売り込んでいったそうで、年間で100万~150万机程度売れている学習机市場であれば、きっと市場があるに違いないと踏んで、各種学習机メーカーを回り、どんどん既存の材料を置き換えていったそうです。

●市場はそれでも突然なくなる

ただ、これもまた、学習机を国内で作らなくなり、海外で作るようになると市場は急速に海外へとシフトしていき、海外の材料メーカーにとってかわられるようになってしまったそうです。このころに私は小学校に入る頃だったようで、私の当時使っていた学習机は父が得意先から購入したものだったそうです。(これは今日初めて知りましたw)なので、このビジネスは平成に入る頃までは続けられたということでもあります。(私は平成元年に小学生になったので・・・。)

●新しい飯の種は違う業界から

その後、同じようにテレビ台を作っている主要なメーカーを回って、学習机やオーディオセットに代わる市場を再び立ち上げて、どんどんと材料を使ってもらえる市場を開拓していったそうだが、これもまた、テレビ台も東南アジアや中国にテレビ台の製造がシフトしていき、市場としては消えてしまったそうな。

●産業の空洞化

団塊の世代の話にはこういう話が多いのだけど、円高によって、国内製造業が空洞化していく話とまさに連動している、当時としてはありふれた話でありながら、これは今にも通用する話がいくらでもあるのだよなあ、と感じ入ったわけです。せっかく一つの市場を立ち上げてもどんなにもっても10年はもたなかったそうで、次々と新しい市場を探して見つけては立ち上げていく営業の楽しさと難しさを物語るエピソードだなあ、と思うわけです。

●後進の育成の重要性とスピリットを伝えることのむずかしさ

父はその後、営業部隊から離れ、システム部隊に移ってしまったのですが、営業部隊でこういった開発要素の高い仕事をやる人がその後、おらず、そのスピリットも受け継がれなかったために、結局、再び建築材料のみに特化した販売に移り変わった結果、その事業はシュリンクしていかざるを得なかった、ということでした。

●3:3:3:1のルール

父は自分で考えた「3:3:3:1のルール」にのっとって仕事をしていたそうで、既存のお客さんでどれだけ大きくても全体の3割を超えないようにコントロールし、残りの3割、3割をほかの業種や客層に振り分け、残りの1割で新しい顧客、新しい市場を常に探して活動していた、という話をしてくれました。えー、どこかで聞いたような話だなあ。

私が30歳になるから、こういう話をしてくれたのかはわかりませんが、これまで父はこんな面白い仕事の話を私にしなかったのか、と思うと少々、意外でしたが、忘れないうちにメモっておこうと思って、記事にしたためた次第。

父には「これ、pptにまとめて講演会、開いたらきっと面白いのに!」って言ったけど、父はピンと来ていなかったご様子。。。。もったいないなあ。。。。