冬の話。

「おじさん、さっき、夜中の12時20分に亡くなったわ」

 電話口で話す父の声を聴きながら、私はとても悲しい気持ちになった。
だが、電話を切って妻にその旨、SMSを送って実際に文字にしてみると、より一層悲しさが増してしまった。

今朝は寝坊してしまった。
久しぶりの日本への出張のためにサンフランシスコ空港で朝9:30までにはゲートにいなくてはいけないのに目が覚めたら7:30である。
うちからサンフランシスコ空港まで早くて40分、混んでると1時間半かかる。
自分の車で飛ばしてもよかったが、オフエアポートパーキングに車を停めてシャトルバスに乗ってる時間が惜しかったので、Uberを慌てて呼んで、荷物を持ってアパートから外に出た。
もう、冬になったということなのだろう、コートを着て待つ間、少し冷たい風が身体と服の隙間に入り込んできた。
今年のサンノゼの冬は少し冷える。2014年や2015年は暖冬だったのだな、と感じている。
久しぶりに着た日本で着ていたスタンドコートの襟を立てた。

慌てて呼んだUberがアパートの入り口に到着して陽気なメキシコ人のおじさんドライバーが車から降りてきた。
Good morning, my friend. It's cold, isn't it? Wintdr comes.と言いながらテキパキと私のスーツケースを白の日産アルティマのトランクに入れる。
年式はちょっと古そうだが、よく綺麗にしてある。
クルマに乗り込んで、ドライバーがSFO(サンフランシスコ空港)ね?Which airline?と聞いてくるのでインターナショナル / Unitedだと答える。

Uberを呼んでからほんの3-4分でピックアップしてもらえたのはラッキーだったし、土曜日だからUS101というフリーウェイは渋滞ひとつない。
”You're lucky!もしフットボールの試合とかあったらこうはいかないぜ”、と言われつつ、スマホの画面には父にすぐに電話しろという妹からのFBメッセージが届いていた。きっとおじさんのことに違いない、と思いつつ、日本は夜中だろうが、車中から父に電話した。窓からはUS101の景色が流れていくように見える。今日も寒いけど、いい天気だ。

父からの電話の用件はわかっていた。
母方のおじさん、つまり、私の母の兄は私の地元の隣町に独りで暮らしていた。
細かい話はプライベートなことなので省くが、離れて暮らす子どももいる。
こないだ、日本に帰省した時、うちの娘と妻をおじさんにも紹介することができた。
が、実はあまりおじさんとは話せず、その場にいた母の姉とよく話した。

おじさんは元々、口数が少なく、あまり自分から積極的に話す人ではなかった。
話しかければもちろん、口は開くし、実はジャズが好きで、経済新聞もよく読んでたりする。
言葉少なに、でも、あれこれと聞いてくる内容は鋭かったりした。
見た目は結構強面なのに驚くほど下戸で私が中学生の頃の親戚の結婚式ではおじさんはちょっとビールを飲んだだけでぐったりしていた。
頼まれもしなくても自分からペラペラ喋る私のような感じではない。

日本にいるときはたまの連休に私が実家に帰る時におじさんの家にもは立ち寄るようにしていた。
おじさんは独り身で、母の姉が家業をたまに手伝いに来ていた。
おじさんは私が転職した時や数年前に離婚した時も黙って話を聞いてくれた。
そして、訥々と遠くを見ながら、たまに私の目を見据えながら話してくれた。
祖父母のお仏壇に手を合わせて線香をあげながら。
そんなことを思い出す。

そんなおじさんの調子は私が立ち寄った頃、既によくなかったそうだ。
確かに昔に比べて少し痩せたように見えていた。心なしか元気も無いように見えた。
だが、元々寡黙な人だから口数も少ないのだろうか、とくらいに思っていたが、おじさんの身体は既に癌に深く冒されていたということになる。
数週間ほど前に父から電話があり、おじさんが既に末期の癌で入院していることを知った。
手術をするにはもはや遅く、ステージ4の胃癌であり、治る見込みは無く、おじさんは更には抗がん剤による治療も断ったそうだ。
最初に父からの電話を私が受けたのは出張先のアトランタのホテルだった。

「大事な話があるので、静かなところから電話してください」と連絡があった時、まさか父が?と思ったが、おじさんの話だった。
父も元々それほど胃が丈夫ではなく、胃潰瘍で2014年夏には吐いたりしていたので、ちょっと心配だったが、妹が口うるさく病院に行かせたおかげで、今はかなり良くなったという。
「大事な話があります」という前振りは本当に心臓によろしくないと思った。
しかし、おじさんの話はそれはそれで私の心に切なさを感じさせるには十分だった。
「おっちゃん、辛いなあ」と、思わず声が涙ぐんでしまったのを覚えている。

その後も父や妹から何度かメールや電話でおじさんの状況は聞いていた。
日に日にあまりよろしくない、という状況は刻一刻と続いていた。
胃癌は既に食道や大腸などへも転移していたのではないか、という。
腫瘍が肥大化し過ぎて胃を塞ぎ、食べ物は食べられない状態になっていたそうだ。
癌も末期になると横隔膜に転移してしゃっくりが止まらなくなる、という話は初めて知った。
また、財産の話とか色々ゴタゴタしてる話も望むと望まざるに関わらず聞こえて来た。

そんな中で私は日本に仕事での出張の機会が出来たので、無理矢理一泊だけ実家に自腹で帰る算段を整えたところの訃報だった。
正直まだあんまり実感は湧かない。

「(お見舞い)間に合わんかったなあ…」

「そうやなあ。帰ってきた時にゆっくり話そう」

父からも「無理して帰って来なくてもいい」、とは言われていたが、しかしこれは辛い。私の母の姉はもっと辛いだろう。

私の母は30代で亡くなった。私はまだ8歳だった。その前後に私の母方の父母もまた70代に至らずに亡くなった。
私がまだ幼かった頃だ。おじさんは独身だった。もはや、母方の実家を守る人はいなくなってしまった。
おじさんの娘は離れていた時間が長かったこともあり戻っては来ないという。

母方の実家は道の拡張の影響でつい近年建て直したばかり。
おじさんは建て替えの間、住み替えなくてはならず随分と大変だったはずだ。
しかし、おじさんはもともと独り暮らし。せっかく新しくなった素敵なお家も住む人がいなくなってしまったということになる。
お家をどうするのかはまだ聞いていない。
お葬式は多分ひっそりと家族葬にすると言っていた。

最近の田舎ではこういう話でも「よくある話」なのだとは思う。
でも、やっぱりやりきれない気持ちにはなる。
しかして、よく考えると、私も長男であり、置かれている立場は似たようなものだろう。
本当なら家を継いで欲しいと父は思っているだろうし、香川にずーっといて欲しいと思っていたと思うのだ。
しかし、私は香川が本社の前職を辞し、東京本社の会社に転職してしまった。
そして、今は転勤して海外赴任でカリフォルニアにいる。
いつかは実家に…と考えてもそう簡単ではなくなりつつある。

高校時代のある友人は結婚と出産を機に東京での仕事を辞めて香川に帰ることにしたという。
こないだ実家に帰った時に会ったら今ではすっかり香川に馴染んでいた。
年齢的にもギリギリのタイミングだったとも言えるかもしれない。
歳を取りすぎると転職もUターン就職もなかなか難しい。そもそも、今の仕事を投げ捨てる気には今の所はなれない。
毎日辛いこともあるけれど、それでも下手くそな英語でも、営業としての英語での会話術が下手くそでも、がむしゃらにやってるつもりだ。
本音を言えば、まだきちんとした結果を出すまでは帰りたくはない。

おじさんのところへは行く。しかし、残念だけども、お葬式には間に合わないし、お見舞いも出来なかった。
もし、これが自分の父だったら、と思うと胸が締め付けられる、というか、どうしたら良いのだろう、と途方に暮れる。
まだそんなことは考えたくもないが、それでも人は日に日に歳を重ね、自分の娘がどんどん大きくなるのと同じように自分の親も自分も老いからは逃げられない。
父は先日の帰省で会ったとき、だいぶ老けたなあ、と感じさせた。
私の妻の父母はうちの父と大して歳も変わらないのにとても元気そうであまりそんな心配は当分は必要なさそうで、ちょっと羨ましい。

そうこうしてる間に、車はサンフランシスコ空港に8:17に到着し、搭乗手続きを済ませてなんとか9:00にはゲートまでたどり着けた。搭乗時刻は9:20だったので、猶予は20分しか無かった。自分の車では時間が足らなかっただろう。寝坊したのは心底間抜けだったが、臨機応変な判断が出来てよかった。Uberはとても便利だ。様々な批判や問題もあるが、渋滞さえ無ければとっても快適だ。また使いたい。

羽田への飛行機は11時間のフライトだ。ユナイテッドだったので、やっぱり機内食のチキンはあんまり美味しくはなかった。
ワインを飲みながら、映画もシン・ゴジラスタートレックインデペンデンスデイ リサージェンス、ジェイソン・ボーンを観た。
どの映画も面白かったが、自分がそうやって楽しんでるのは少し不謹慎にも思えてしまった。
何度も病室にお見舞いに行っていた父や妹は今ごろ、もっと寂しい気持ちになっているだろう。

よく考えるとここ数年の間で、アメリカから羽田へ飛ぶのは初めてだ。
いつもはサンノゼもしくはサンフランシスコから成田に降り立っていた。
着いたら日曜日の夕方。私の週末は殆ど無くなってしまった。
明日からの仕事は勿論きちんと、こなしていくのだが、亡くなったおじさんのことを折に触れては思い出すだろう。いや、思い出したい。

それが今の私に出来る、ちっぽけだけど、精一杯のお弔いだから。