正論

■言い方・顔色・声色

 正論ではなく感情論だったり、感情論の皮をかぶった正論だったり。

 「自分は論理的な人間だ」と思っていても結構感情面での機微や他の人の「言い方」や「顔色」「声色」を気にしているなあ、と思い至る。

 そう考えると、自分は人から見てどう見えているか?という点にももっと気を配った方が良いなあ、とこれまた思うのである。というかもっと気を配るべきなのだろう。

もっと優しく、とっつきやすい笑顔が必要なのだろうなあ。。なかなかこれは自分が得意としていない分野なのだが、これを直さないと恐らく自分は「どんづまり」なのだと思う。向き合わなければならないのだろう。元々、昔からストレスを実は感じやすく、胃潰瘍・十二指腸潰瘍を患って以降あまり細かいことは気にしないように生きてきた。細かいことを気にし過ぎて疲れてしまって、胃痛で死にかけたからこそ、わざとそういう敏感なスイッチはオフにして生きてきたのだが。

 「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったものだが、なかなか第3者的な視点で自分を見るのは難しい。

「不機嫌な顔・声を続ければ相手は委縮する。傷つく。」

こうして言葉にしてしまえば、わかり切っている話だが、それをわざとやってくる人間もいるし、自分は「そうはならないようにしたい」。とか言いながら、自分がそういう人間から遠ざかっていたことに週末に気付かされた。

 

「苦しい時ほどその人の素が出る」

 

 

■自分をアピールするということ

 なかなか難しいテーマなのだが、シリコンバレーに駐在し始めてからというもの、自分の付加価値とは何かに重きを置いて仕事をしてきた。いろんなところに人間関係を作り、相手にとって有用と思ってもらい、継続的なBiz上の関係を構築していく。ゴルフは出来ないし、毎晩飲み歩けるわけでもないのだけど、それでも自分が持てる限りの情報や知り得る限りの知識を動員して、日々、駐在員として、日本側に情報発信を心掛けてきた。なるべく自分の手元の情報は発信するようにしてきた。どこかで情報が滞留するのが嫌いだし、情報を制限しようとする人は自分の敵だと社会人になったころからずーっと思ってきた。

 「俺が俺が」、と仕事を取りに行かないとこの時代では生きてはいけないし、シリコンバレーにずっと5年も駐在出来ているのは多分その姿勢が買われているから、なのだと自分では思ってきたのだけども、ふと客観的に見て、そういう「私みたいな人」がいるとそれはそれで面倒なのかもしれないなあ、とも思う。私が周辺の人の感情にも気を配れるもっともっと余裕のある人間であれば良かったのだが、残念ながら日々の暮らしが精一杯。。。周りにもっと細やかな気配りをできたらと思う一方で、そんなことを気にしていたら私は委縮してしまって、何もできないだろうなあ、とも思う。

 こうした性格や行動様式は「自分の長所であり、自分の短所だとは思っていなかった」のだが、実際にはPros / Consになるのだろう。こればかりはまだ部下がいない私にとっては、「自分の仕事を部下の手柄にしてあげる」、とかそういうことができない現状、行動を前向きに改めるのはひたすらに難しい。 

っていうか、「この歳になっても部下の一人もいない」なんていうのもなんだかひどい冗談だな、とも最近思う。