【レビュー・感想】PS4・Ghost of Tsushima ゴーストオブツシマ

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 プレイしてクリアしてしまいました、ゴーストオブツシマ。今年、3本目のゲーム。FF7R、ラストオブアスパート2、そして、今作。

FF7Rは良作、ラストオブアスパート2は傑作、ゴーストオブツシマは名作に位置付けられるかもしれません。

 

■概要

 散々語られ尽くしているとは思いますが、本作は元寇がモデルになっており、日本の長崎県対馬へ攻めてきた元・蒙古を打ち払うべく出撃した対馬の侍たちが速攻で全滅する中で、1人だけ、瀕死の淵から立ち上がり、蒙古を打倒すべく、対馬の島を所せましと対馬の地頭・志村の甥である境井仁が戦いを続ける中で冥府からよみがえった侍・冥人(くろうど)として名を馳せていき、。。。

ざっと言ってしまえばそういうお話になっています。

 

元寇は2回あり

・1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)

・2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)と呼びます。

今回の話は1274年の文永の役の時の対馬が舞台になっています。

 

■舞台設定の勝利

 個人的には元寇という舞台設定を選び、少しだけ史実をいじった、このゴーストオブツシマの舞台設定は非常に秀逸と思えました。

  • オープンワールドゲームとしては限定された対馬の島だけを作りこめる
  • 民を守るために戦うので、島を離れる動機も主人公には生まれない。
  • 元寇は長い日本の歴史の中で、外敵との数少ない邂逅であり戦闘であったと考えれば、主人公サイドには民や国土を守る、という大義名分がある。(ほかに外敵との戦闘というと、幕末の薩英戦争だったり、日清日露戦争だったり、と時代が進みすぎてしまうので侍ゲーにならない。秀吉の朝鮮出兵は出兵そのものの大義名分という意味でなかなか世界で発売するBig Budget大作ゲームの題材としては共感を呼びづらい。)
  • モンゴル帝国はもはや存在しないので、ポリコレ的にも問題無し。
  • 元寇であれば、ほかの戦国ゲームとも時代がかぶらないのでオリジナリティを強く担保できる

 元寇を選んだ理由にはいろいろあると推察しますが、やはりこうしたいくつかの好条件を考えると、舞台設定の独自性としては二重丸でしょう。もちろん、「ちょっと江戸時代以降の武士の感じがあるのではないか?」とか「鎧の雰囲気がどうも戦国時代以降っぽくないか?」とか、色々考証面では細かーい違和感はありますけども。(ネット上でもそういう指摘がされていますね)

 あと、漫画・アニメでは元寇を取り扱った作品として、最近、アンゴルモア元寇合戦記というものがあったようですね。(漫画は継続連載中)

 ドラマだと、なかなか元寇は題材には選ばれにくいですが、自分が大好きな大河ドラマだった「北条時宗」がまさに元寇を題材にしたスケール感の大きいドラマでした。特に兄の時輔が死んだことにならずに、蒙古に渡ったりするなどなかなか見どころの多いドラマでした。時代が古めなので、フィクションを盛り込みやすいのかもしれませんね。

 

オープンワールドゲームと私

  いわゆる「オープンワールドゲーム」は普通に世の中にあふれているようですが、私はあまりその波に乗らずに人生を生きてきたところがありまして、唯一、楽しんでプレイしたオープンワールドゲームは「レッドデッドリデンプション」1作目くらいかなあーと思います。(いつか2作目もやりたい)GTAとかも昔やりましたが、どうも楽しめなかった。どうも、単純な殺戮とは相性がよろしくないようで。途中のお遣いが作業ゲームみたいに感じてしまうところがあったりするんですよね。ゴーストオブツシマは、そのあたりもうまく作られていて数々の寄り道があまり苦ではありませんでした。これ、なぜに苦にならなかったかというと、風景が美しくてただ、馬で駆けているだけでもすごく楽しいゲームだからなんですよね。いやー、本当によくできている。ラストオブアスパート2でも馬に乗るシーンはあったけど、それよりも爽快感や疾走感があったし、FF7Rのバイクも面白かったけど、やはりこの対馬ならぬツシマの壮大な風景の質感や雅な感じがたまらなく、非常に楽しく駆け巡りました。

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 オープンワールドゲームはこうした舞台設定が何よりも大事で重要なのかもしれません、自分にとっては。(なので、そこまで自由度が高い必要は必ずしもない、自分の場合。)

 

 ゲームシステムの中で特に気に入ったのは、

  • 特定の風流な場所で和歌を詠むと鉢巻きをもらえる

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  • 特定の場所で狐についていくとお稲荷さんでお参りすることで護符の最大装備数が増えるきっかけが得られる

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  • 特定の断崖絶壁などの危険な山の上で神社にお参りすると護符をもらえる
  • 風流な隠れ温泉に入ることで最大体力が増加する
  • 稽古台で特定のコマンド入力によって、竹筒を切り倒すとアイテムがもらえる
  • 特定の場所で特定の敵とは1対1での決闘が用意されている
  • 行きたい場所を設定しておくと、あとは、風が吹いて行く先を教えてくれる。(実は購入を決めた要素のひとつはこれです・・)
  • 尺八が大体好きな時に吹ける
  • 抜刀後、納刀ができる
  • 馬は口笛で呼ぶ
  • 琵琶法師
  • お辞儀

などなど・・・

 とにかくこの手のゲームシステムがすべてにおいて、「風流」なんですよ。季節感はめちゃくちゃで紅葉の後ろで桜が咲いているようなところも無くはないんですが、それでも、1カット1カットとしては非常に出来の良い時代劇映画の中で戦っているような感触すら得られます。とにかく絵になる。インスタ映えスポットが目白押しです。写真撮影モードも非常に充実していて、様々なカットでスクリーンショットを撮影して、しかも、後から写真を色々加工もできます。

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 アクションについても、刀で相手の武装に応じて、4つの型を切り替えながら、正々堂々と真正面から切り伏せたり、と侍プレイもできれば、暗器や弓矢も駆使しつつ、敵を暗殺したり忍者プレイもできるといった塩梅で、大変楽しませてもらいました。パリィからの攻撃だったり、避けてからの攻撃だったりと決まると非常に爽快でもありまして、むかーしのブシドーブレードを少し思い出しました。ブシドーブレードほど、主人公も敵もやわらかくはないですが。。。(あのゲームは今動画で見ると相当シュールなゲームですね。。。発想は斬新でしたが。。)

 

 クロサワモードという単純に白黒になって、音もレコードノイズが入るみたいな、無茶なモードもあったりします。(実際にはクロサワモードで全編クリアはかなりしんどい気がする)

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るろうに剣心の影響は?

 あと、るろうに剣心っぽい技がいくつか出てくるのも楽しかったです。製作者たちは知っていたのかをぜひ聞いてみたいところです。焔霊みたいな技だったり、三段突き(△ボタン長押し)だったり、敵が使ってくる中には右片手平突きもあったり。(これを左手でやると「牙突」になる)また、抜刀術である憤怒の舞や紫電一閃も伝授の過程から使えるようになってからの活躍っぷりに至るまで、なかなかに剣戟アクションとして面白い。ジャンプ斬りもできますしね。(龍槌閃的な・・・)返し技としては「後の先の極意」があるのですが、(タイミング避ければ、返し技が問答無用で入れられる)、更にバリエーションとして返し技として龍巻閃っぽい技もあると尚よかったなあ。六本刀というネーミングとかもね。ローカライズの際にネーミングについては少し考慮されたのでは?とか穿ってしまいますね。

 

■イケメン・美女が出てこない

 あと、これもいろんな人が指摘しているんですが、日本のゲームではありがちな彫りの深い色白なイケメンや二重の色白美女キャラが一切出てこないんですよ。唯一、後半で1人出てこないことも無いけど絶世の美女というわけでもなく・・。主人公も含め、みんななかなかに日本人らしい感じで、これがまたリアリティに拍車をかけているとは思いました。この傾向はラストオブアスパート2でも一緒でしたね。

 

 ここからはネタバレもしていきますので、プレイ予定の方はここでブラウザをそっと閉じてください。。

 

■誉(ほまれ)

 地頭の志村は誉(ほまれ)をもって、人民を統治してきました。誉なき戦いによって得た勝利では人民は統治できない、という考え方で犠牲を厭わない突撃による突貫を命じるシーンがあります。

 境井仁は、若い頃から、この誉を徹底的に志村に叩き込まれて育っているため、卑怯な手を使って戦うことを心底、望まないのです。序盤で小茂田の浜で死にかけて、盗賊のゆなに助けられることで一命を取り留めるわけですが、ゆなに言われることで徐々に生き抜くために、民を守るために夜盗のような戦い方を身につけていきます。

そこにはもちろん、過去の伯父の言いつけを守っていない、武士としてあるまじき行為、という強い葛藤もあります。

 境井仁は冥人としての戦いが徐々に板についていき、一線を越えて、毒を使うことで、突撃による仲間の無駄死にを防ぎます。しかし、この咎を志村に問われて、境井は投獄されてしまいます。

 結局は、その後、境井は冥人として、蒙古を打ち払う道を選択し、脱獄、志村のもとを離れ、数少ない仲間とともに蒙古を追い詰めていきます。

 

 この誉というテーマは結局、その後、蒙古壊滅後の最後に伯父である志村と境井との一騎打ちを行うところまでに至ります。「誉のためには死ぬことも厭わない志村」と、「誉のためではなく民のためにあえて誉を捨て、生きることを選択した境井仁」とはお互いに生き方が重ならず、相容れませんでした。

 で、最初から最後までプレイしていて感じたのが、「そんなに当時の武士は誉を重要視していたのか?」という疑問。

 鎌倉武士で最も有名にして、最も活躍した源義経などは一ノ谷での奇襲攻撃など様々な逸話が残されていますが、これは当時の鎌倉武士たちにどう捉えられていたのか?などは非常に興味が出てきたので少しだけ調べてみました。

  下記記事によれば、当時の考証的には、一騎打ちであったり、様式的な戦闘にこだわるところはあったようで、源義経はお目付け役の梶原氏などに相当、文句を言われていたようなところもあったようです。てっきり、義経は英雄視されてきた侍だと思っていたので、検非違使になったこと以外にも身内から批判が出ていたのは意外なところがありました。

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唯一、上記の儀礼的合戦のセオリーをほぼ無視して、より合理的に戦いを行い、数多の勝利を手にした天才戦略家・源義経がいます。彼は、騎馬武者の機動力を合理的に生かして、少数の騎兵団のようなものを組織し、敵である平家軍を奇襲で撃破する大勝利を収めていますし(一の谷の戦い)、平家軍との最終決戦であり、水上戦であった壇の浦の戦いでは、敵水軍の機動力を弱めるために、船の漕ぎ手である水主(かこ)を集中的に射殺したりするという合理的な戦術をとっています。もっとも非戦闘員である水主を射殺すというのは、合戦でも儀礼を重んじる武士の間では暗黙のタブー(禁じ手)であり、義経の目付け役を務めていた武士・梶原景時は、義経の戦術を猛烈に批判しています。
 兎に角にも、当時の武士は合戦の際には、勝っても負けても「正々堂々、美しく戦う」という粗いながらも一種の美意識を持ち、それによって合戦も儀礼的になったのですが、源義経はその美意識に関しては頓着しないで、「戦には勝てばいい」という考え方のみ持ち合わせ、合理的に戦いを進めて、戦うごとに大勝利を得てました。「理よりも実を取る」という戦略的思考を持ち合わせたというこの一点が、後世まで義経を「天才」と言わしめた由縁でしょう。しかし、この義経の天才が、美意識を持つ仲間の武士団には受け入れられず、最終的には非業な最期を遂げてしまうという結果にもなってしまうのですから皮肉なものであります。

 

 鎌倉時代北条時宗の時代において、どれくらいこのゲームで描かれる誉(ほまれ)が重視されていたか?というところは結構、重視されていた可能性があるということだでしょうか。上記の論考では、2回ある元寇の1回目では、武士たちの間ではまだ集団戦法は浸透しておらず、一騎打ちだったり、といった儀礼的戦法を重視していたことがうかがい知れます。

 

第一次蒙古襲来である「文永の役」の防衛側である日本軍(鎌倉御家人軍)と侵略側である蒙古軍の戦況を詳しく記した『八幡愚童訓』という古書があり、その文中には、日本軍、鎌倉武士たちが例によって、儀礼的合戦に則って、蒙古軍と戦おうとするのですが、文化歴史、戦法も違うので、蒙古軍との他戦いに戸惑い、苦戦奮闘している日本軍の姿を書き記しています。例えば、以下のような事が書いてあります。(重要と思う箇所を筆者が独自に抜粋箇条書きにさせて頂きました)

 

御家人少弐資時は、戦のしきたり(開戦の合図)として、先ず音の出る鏑矢を放った(つまり矢合わせ)が、蒙古軍はそれを見て嘲笑した』

 

『蒙古軍は、開戦の合図として、銅鑼(どら)や太鼓を打ち鳴らし、鬨の声を一斉に上げたので、日本軍側の騎馬武者の馬が驚き跳ね狂った』

 

『蒙古軍は、毒矢を放ち、日本軍の兵士たちを倒した』

 

『(蒙古の)大将は高い所に上がって、退く時は逃鼓を打ち、攻める時は攻鼓を打って指揮をした』、つまり蒙古軍は、集団戦法をベースとして戦っていたことを示しています。

 

『日本軍側の武士たちは、名乗りを上げての「一騎打ちや少数の先駆け」(つまりどちらも個人プレー)で敵軍に攻撃したため、原田一類、青屋勢2、3百の武者たちは集団で戦う蒙古軍に左右から取り囲まれ皆殺しにされた』

 

・『蒙古軍の武器・「てつはう(手投げ炸裂弾)」の威力と爆発音によって、日本軍は驚愕した』
等々・・・。

 

 というわけで、誉というか、「戦における様式美」は当時の武士たちの間では相当、重要視されており、戦では様式に則って戦うことが正しいとされてきた時代に生きていた可能性が高く、そういう意味では地頭の志村氏は当時の常識に照らしては間違ったことは何も言っていなかった可能性も高いわけです。むしろ、境井が武士として好ましい考え方をしていなかったということでしょう。

 

 境井仁の強いられた戦いは序盤からそのほとんどが「多勢に無勢ではほかに仕方がないものばかりで申し開きができるものばかり」でしたが、志村からも周りからも「誉なき戦い」と、誹りを避けられない戦いは確かに1つはあり、それは志村城での毒殺でした。

 

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 境井仁が蒙古を倒すために毒を使ったために、花から毒を作る製法を蒙古も学び、蒙古はそれを日本の本土でも使おうと画策します。そして、志村と袂を分かつことになる毒の使い方も飲み物に毒を入れて全滅させるというなかなかに非道・卑劣なものであり、これは確かに、対馬の主君ともなるべき人がこうした戦い方をする人とわかればなかなかに民衆からの支持を得られづらいだろうというのはあるように思います。

 毒殺で全滅させた後に、本土からの鎌倉武士たちにもその一部始終のあり様を目撃されてしまっているからには志村もまた、境井を咎める他なかったのでしょう。

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 もちろん、蒙古の脅威というのは差し迫った生存を脅かす本当の脅威であり、手段を問うている場合ではない、とも言えますが、それでも近現代の戦争ですら、毒ガスをまき散らしたりすることはあまりに凶悪すぎるためにジュネーブ議定書によって1925年に使用を禁止をしています。毒は使いようによっては、際限ない大義の無い殺し合いが民にまで拡大することが目に見えているからでしょう。(実際、蒙古は毒で対馬の民を殺しているシーンが後に確認されます)

 毒を飲み物に入れる、という展開で思い出すゲームはファイナルファンタジー6で侍であるカイエンのいるドマ城が帝国軍に毒を入れられ全滅するシーンでした。(古くてごめんなさい笑)ここでも毒を使うことは悪玉のすることであり、たとえ戦に勝つためでも決して許すことができないケフカの卑劣性を浮き彫りにする描写でした。毒=卑劣というのはどの時代でも共通の価値観とは言えるのではないでしょうか。

 その後も境井仁は毒の吹き矢を使い続けます。(この毒の製法を乳母から教わるというのもまた、少し切ない展開のストーリーでした)

 ゲームシステム的には正々堂々と戦えば武士として、冥人として戦い続ければ冥人としての名が上がっていきストーリーが分岐するようにも作れたのでは?と下記記事などでは指摘がありますが、確かに、そういう話のほうがより、戦い方にもこだわりが出て面白かったかもしれませんね。(いや、ゲームバランス的には正々堂々と戦い続けてクリアできるゲームとは思えないけども。)

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■境井仁は本当に冥界からの使者だったのでは?

 小茂田の浜で境井仁が死にかけるシーンで、風が吹くわけですが、この時、境井仁は死んでいたのではないか、とも思います。風はその後、彼を導いてくれますが、この風が吹き始めるのは先祖の刀を取り戻してからであり、風を吹かせているのは一体誰なのか、どうして仁にだけ、都合よく、風が吹くのか、というところは最後まで説明されません。下記のブログでも指摘されていますが、「風と元寇と言えば神風」ですが、そこを結び付けて考えたくもなるくらい少し神秘性が感じられる描写ではありました。

 

このあたりを深掘りした良記事があったので紹介しておきます。 

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■愛すべきサブキャラたち

ゆな:ゆなは最初から最後までずっと主人公と一緒に戦ってくれる心強い夜盗キャラ。弓矢も剣戟もそこそこ強く、蓮っ葉なキャラで愛嬌はある。が、可愛げはない。酒が強く、何升も仁と酒を酌み交わしても平気。この酒を飲んで敵を待ち受けるシーンは結構好きなシーンでした。暗い過去もある中で、ひたすらに弟思いなのだが、弟のたかは後に悲しい展開を迎えることに。。。

 

たか:もうね、セリフと名前と顔があるキャラクターがサクッと生首になるって、トラウマものですよね、、、いいやつなんだけど、完全にフラグを立ててやられます。。。主人公以外でコトゥン・ハーンに斬りかかった唯一のキャラでもある。(政子殿の夫も志村も大してそういった描写は無い、武士なのに)真の武士はたか、だったのだろうとも思わされる。

 

コトゥン・ハーン:最初は一騎打ちだが、意外と最後は一騎打ちではなく、集団戦闘というのが蒙古っぽいなとは思った。冥人になった境井仁を脅威と認めていたからこそ、全力で仲間と戦ったのかなあと。志村をなかなか殺さなかったり、たかをあっさり殺したり、手練手管を駆使して、竜三を取り込んだり、となかなかに人間味あふれる悪役・敵役でした。

 

志村殿:まず、声がいいよね。志村と仁の方向性が違えていくのは結構悲しいものがありました。仁自身が過去に自身の父の死に関するトラウマを抱えていたのを鍛えることで癒していったのは志村殿だったわけで、その彼が涙ながらに仁と戦うシーンは結構くるものがありました。しかし、島も民も自分も死の間際にあっても、それでもまだ、誉を説くところではネット上では「誉でも食ってろ!」と揶揄されてもいます。。。

 

石川先生:CV千葉繁。性格の悪い偏屈なおっさんですが、本当にプレイしていて何回この人と戦うことになるのかなあ、と思ったことか。結果的には石川先生と刃をかわすことは無かったものの、何回も仁は石川先生をリスペクトしつつもご注進もしている。この石川先生との関係性については下記記事での指摘が結構面白いと思った。確かに武家の世界で目上の人の言うことは絶対だったわけで、いくら境井家の頭目とはいえ、仁が石川先生に何回も気安くご注進していたのはどうなのか、という指摘は納得感がある。

turqu-videogame.hatenablog.com

本作の脚本は時代劇というよりはむしろ西部劇や海外ドラマや西洋ファンタジーを参照先としている。そこに、日本のサムライ劇の皮を被せているだけである。多くの日本人が違和感を持つであろう境井仁と石川先生との関係などは、日本の時代劇ではありえない描かれ方である。それ自体が悪いと言っているわけではない。なぜあのような関係描写を日本の時代劇というフォーマットで描かなければならないのか。これまでの時代劇文化の蓄積を無視する態度が、薄っぺらさに繋がってしまっていると考える。

(中略)

また先ほど例に挙げた境井仁と石川先生の関係は、「日本の時代劇的社会」というものに全く無頓着であることを端的に示している。あんなに簡単に目上の者に対して反抗したり皮肉を言ったりすることはあり得ないし、逆に目上の者が目下の者にあれだけペラペラと心情を語ったりしない。それはあたかも海外ドラマ・洋画のような関係描写であり、時代劇であのような師弟関係を描いているものはあまり思い浮かばない。むしろスターウォーズで描かれる師弟関係の方が近いように思える。

ちなみにこの方がこの記事を読んだかは不明だが、製作者へのインタビューではマカロニウエスタンからの影響を認めている。なので、指摘としては正しいのだと思う。

game.watch.impress.co.jp

Nate氏は「Ghost of Tsushima」について、制作の背景を「マカロニ・ウェスタン」に例えた。マカロニ・ウェスタンは、イタリアで制作された数々の西部劇のこと。その裏には、イタリア人がアメリカのウェスタン映画で育った環境があった。国が違えど、まさに「Ghost of Tsushima」の背景と一致するわけだ。

 マカロニ・ウェスタンからは「The Good, The Bad and The Ugly(邦題:続・夕陽のガンマン)」など傑作が数多く残されている。Nate氏は最後に、「マカロニ・ウェスタンウェスタン映画文化に貢献していると思う。同じように、本作で日本のみなさんの興味を惹いたり、時代劇という文化に貢献できたら嬉しい。我々の時代劇を、ぜひ楽しんでほしい」と語った。

あと、石川先生といえば、巴だが、巴の回での登場の仕方と正体を見破る仁はなかなかにあっぱれな展開であり、展開的に好きな話でした。要は石川先生の弟子である天才・巴が離反したので、巴を倒すべく追いかけ続けてきたわけですが、ひょんなことから仁だけが出会ってしまい、巴もなかなか正体を明かさないままに、仁と会話を進めていくわけです。ただ、NPCにしては明らかに顔が特徴あるし、質問の数も多かったので気が付いていた人は気が付いていたでしょうけども。。。

 

政子殿:もうこの突撃おばあちゃんが何回、早まって手掛かりを殺したことか。。。待たれよ!って何回くぎを刺しても冷静に復讐が出来ない、政子殿、なんとあるシーンでは政子殿との一騎打ちまであります。(しかも結構強い)最終的な復讐の相手は意外な相手ではあり、恨みを持たれる動機もまた、政子殿っぽいところもあり、これもまた、この政子殿の話を面白くしていました。

 

■史実

 史実では対馬の大名 宗助国たちは80数騎で立ち向かい、小茂田の浜で全滅した。

元寇で最初に攻め入られた対馬で、手勢が少なかった宗助国は気の毒だったわけだが、それ以上に多勢に無勢にも関わらず、旧来の戦い方で戦ったこともまた、彼らの不幸だったのかもしれない。これを機会に竹崎季長についても少し調べ直したのだが、彼は2回目の戦いで蒙古の船にまで忍び込んで暴れまわったともあり、意外とゴーストオブツシマは史実に近い戦いを体験できるという意味で面白いとも思った。

 

ironna.jp

 

面白いことに今年になって、対馬ではこの宗助国の騎馬像を建立したりもした模様。なぜ今なのかという気はするが。。。

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元寇の史実では、まず毒を用いたのは蒙古ですが、このゴーストオブツシマの世界では毒を戦に使い始めたのは境井仁ということになっています。