映画「ノマドランド」について

 今回微妙に映画の内容に触れますので、それが嫌な人は映画を観てから本記事をお読みください。全くもって、ネタバレというわけではありませんが。。。

 

 海外駐在でアメリカに住むようになってもう7年くらい経つのですが、アメリカといってもすごーく広いのです。「俺、アメリカに住んでるよ」というのは事実でも、「俺、アメリカを知ってるよ」とはなかなか言えないなあ、、、というのが住んでみての実感値としてはあります。

 たとえば、東海岸と西海岸は全然違うし、中西部もまた違う南部もまた違うんですよね。田舎と都会でもまた全く違う。カリフォルニアとフロリダは似てるところもあるけれど、住んでる人たちのメンタリティはこれまた違うのでしょう。NYとSF、LAはどこも大都市だけど、やっぱりそれぞれに規模感や都会感が少しずつ違うわけです。治安はどこも悪いけども。
 アメリカで遠出をする時には自動車でどこまでも行けるので、「ロードトリップ」と称して遥か遠くの場所まで自家用車で向かうことがあります。飛行機は出張や国内旅行でバス代わりとして何度も乗りましたが、旅行時に家族が増えて荷物が増えると車で行きたいと思うこともちらほら。結局現地でレンタカーを借りますしね。

 かくいう私もカリフォルニアに住んでいて、サンノゼからサンディエゴまで8時間かけて行ったこともあるし、ロサンゼルスまで6時間かけて移動するのは年に数回はあるし、北に向かってマウントシャスタ まで5時間かけて行ったこともあるし、グランドキャニオンやらをぐるっと回る旅で何千キロも車を走らせたこともあります。1番遠い旅路は今のところ、サンノゼから遠くイエローストーン国立公園まで行った時ですが、地図で見てみるとわかりますが時速100km巡航でも大体15ー6時間くらいはかかります。私は2日間かけて現地にたどり着きました。

 挑戦してみると、とても移動やそれに伴う準備や道中、大変ではありますが、アメリカでのロードトリップにはたしかに「言葉に出来ない魅力」はあります。走っても走っても目的地には辿り着きませんし、途中、ガソリンスタンドも街も無いような道がひたすら続いたりもしますし、山を越えるたびに景色や表情を変える雄大な自然を目にするとアメリカという大地の大きさをひたすらに実感するのです。(少し北海道にも似ているのかもしれません)電車や飛行機には無い、また別の味わいのある旅が楽しめるのです。

 

 映画「ノマドランド」はそんなアメリカの中で描かれる車上生活者たちの生活にフォーカスした作品でアカデミー賞作品賞などを3つも受賞した良作という触れ込みでした。正直、私は映画好きではあるものの、アカデミー賞受賞作だからと言って必ずその映画を観るわけではありませんが、本作に関しては、観てよかったなあと思いました。

 

いつもは映画Blogに書く記事ですが、アメリカ生活にも関連するので、このBlogにも記事を残しておきます。

 

(解説とあらすじ 映画.comより)
スリー・ビルボード」のオスカー女優フランシスマクドーマンドが主演を務め、アメリカ西部の路上に暮らす車上生活者たちの生き様を、大自然の映像美とともに描いたロードムービージェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、「ザ・ライダー」で高く評価された新鋭クロエ・ジャオ監督がメガホンをとった。

 

○物語:家を失った女性は、キャンピングカーに人生を詰め込み旅に出た
ネバダ州の企業城下町で暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で、長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに亡き夫との思い出や、人生の全てを詰め込んだ彼女は“現代のノマド(放浪の民)”として車上生活を送ることに。
過酷な季節労働の現場を渡り歩き、毎日を懸命に乗り越えながら、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ねる。誇りを持って自由を生きるファーンの旅は、果たしてどこへ続いているのか――。

第77回ベネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞、第45回トロント国際映画祭でも最高賞の観客賞を受賞するなど高い評価を獲得して賞レースを席巻。第93回アカデミー賞では計6部門でノミネートされ、作品、監督、主演女優賞の3部門を受賞した。
(以上) 

 

 作品の撮影手法や制作手法が特殊なため、なかなかに奥深い絵が撮れているように思う。映画監督のクロエ・ジャオは筆者とも同年代のアジア系女性監督。本当に同い年で驚いた。そりゃあ、自分もいい歳になってきたが、アカデミー賞を取るような監督が同じ世代から出てくるくらいには歳をとったんだな。

 

 アメリカでロードトリップしてると気がつくのが、色んなところにRVパークというキャンピングカーを停められる場所があることだ。キャンピングカー自体もよく見かけるし、アメリカではキャンピング自体も大変人気だ。キャンプグッズも非常に充実してると言われている。キャンピングカーのサイズも様々で、比較的簡単にキャンピングカーをレンタルすることも可能だ。劇中に出てくる大きなキャンピングカーもロードトリップをしていると見かけることがある。

www.businessinsider.jp

 そうしたキャンピングカーを借りてグランドキャニオン周辺の一周にチャレンジするグランドサークルに挑む人たちも中にはいる。私の中では「RVパークにキャンピングカーを停める人」というのは最初はそういう米国横断をしてる夢のある人たちだというイメージが以前にはあった。
 しかし、2014年以降、アメリカに実際に住んで時間が経ってくると、大きくそのイメージは変わってきた。カリフォルニア州でも一部のエリアではキャンピングカーに暮らす人たちがいる事が話題にはなってきた。世界でも稀有な利益を叩き出すSNSを運営するFacebookスタンフォード大学や数々の著名投資家のいるパロアルトですら、高速道路を挟んで反対側のイーストパロアルトというエリアではキャンピングカーがたくさん泊まっていて職につけない人たちが日々暮らしてるという話もあった。

business.nikkei.com

 また、コロナ禍には近所に停まっているキャンピングカーの数が確実に増えた。つまり、彼らはキャンプしてるのではなく、路駐して、キャンピングカーの中で生活し、日々暮らしてるのだ。

 身近にはあるものの、そうした人たちの日々の暮らしそのものを直視する機会はあまり無かった。自分も普段の生活や仕事があるから当然といえば当然だし、近寄ることは危険だからしていない。でも、世界でも有数の富や知識が集まるシリコンバレーで全く解決出来ていない問題の一つが貧困問題である、というのは自明であり、解決の糸口も無く、誰も真剣には向き合っていないというのもまた事実としてある。

 

 カリフォルニア州の数々の問題については下記記事に大変詳しいが、貧困問題以外にも解決されない問題が多数ある。下記記事で驚いたのが、カリフォルニア州の公的機関における年金制度で莫大な年金をもらう公的機関の方々が沢山いるという話だった。何もお金をたくさん貰うことが悪いことではないのだが、それに見合った公共の福祉を守る仕事を出来てるのか?という建設的な批判はあって然るべきなのだろう。

offtopicjp.substack.com

 

 話を映画に戻すが、ノマドランドで描かれるのはカリフォルニア州の話ではないし、カリフォルニアも少し出てくるけど本編はネバダ州やその他の州で話が進む。

 劇中で主人公が住んでいたとされるネバダ州のエンパイアのように企業城下町がCloseして街ごと消滅し、郵便番号すら消滅するというのはなかなかに恐ろしい話だ。

  • エンパイアは実在する都市
  • Wikipediaによれば、この映画の舞台となった2011-2012年からもう少し後の2016年には別の会社がこの土地で新たに企業城下町を始めているという。
  • 今、私が住んでいるサンノゼからは350mile程度離れているので行こうと思えば1日で行ける場所でもある。
  • 地図で見てみるとネバダ州のカジノがあるリノから行けないことはない場所にあるし、なんなら仕事が多そうな人口の多いカリフォルニア州の州都であるサクラメントからも行けなくはない場所にある。
  • エンパイアもGoogleマップで見れば周りに数十kmは確かに何も無い山の中だ。行こうと思わなければなかなか向かわないところにある。少なくとも私は行くことは無いだろう。
  • エンパイアは東西を行き来する主要幹線道路である80号線からは逸れているので普段、観光客やロードトリップの人たちがわざわざ行く場所ではなさそうだ。地図で見てみるとより感じられるが、殆どのUS民が通り過ぎることすらなさそうだ。こうしたところが末恐ろしさを感じる。日本にも過去には炭鉱の町もあったし、今でも地方で衰退した温泉街などは似たようなところはあるかもしれない。今もっと切迫した課題としては地方の限界集落もある。アメリカの場合は国土がべらぼうに広いせいで、本当に車が無ければ、そしてインフラが無ければ(郵便番号など最たる例だが、いかなアメリカと言えど郵便番号が無ければAmazonが来てくれないかもしれない)生活が立ち行かないエリアが多数ある。

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www.insider.com

上記記事ではその後、復活したエンパイアが描かれている。

 

 劇中で主人公のファーンが働くAmazonはエンパイアから100kmくらいしか離れてないという設定だそうで、主要な産業の移り変わりによって、自分が身につけたスキルが活かせなくなる労働者がいかに多いのかということを知ると背筋が寒くなる思いだ。ちなみに調べてみるとネバダ州のリノにAmazonフルフィルメントセンターがあるので、ここをモデルに描いたのかもしれない。リノ自体、観光地であるレイクタホの近くにある忘れられそうな街ともいえるが。。。ここ近年だと、Teslaがギガファクトリーを作ったのはこのリノだ。

 また、日々、普通に届けられるAmazonの荷物がこうした人たちの手を介して届けられているということを思うと、なかなかに言葉に詰まる。
 コロナ禍で数多くの飲食店が閉まり、多くの失業者が出たがAmazonはそれでもフリーウェイhiringの看板を出し続けていた。それくらいパッキングしたりする人が足らなかったと言われている。
本作品の舞台は2011-2012年だが、クリスマスから年明けに至るまで、Amazonで働き年明けも1人で過ごし、夜は車中でひたすらに過ごす。夜にRV パーク以外で駐車してると車中泊は許可してない、出て行けと言われたりもする。
 年末は恐らくはAmazonは少し高めの給料を日雇いの人たちにも支払うのだろう。Amazonが日雇いの人たちのためにRV parkの駐車場代まで払うのは驚きではあったが…(そうした日雇いの車上生活者が登録して働くことを前提としてAmazonが会社として事前に費用負担してることそのものが驚きであった)


 狭い車内で用を足し、ご飯を食べ、眠る。暖かくなれば、外でデッキチェアで寝たりもする。車は家であり、ある意味では名前の付けられた愛馬の如き家族でもある。風邪をひいてもひとり、咳をしてもひとりである。

 遊牧民という意味のノマドNomad)ではあるが、現代の遊牧民には家畜はいないし、本当の遊牧民と違って現代に生きるノマドは狩りもできないし略奪も出来ない。そのかわりに季節労働者としてあちこちで働き、食い扶持を稼ぎ、そして、車で寝るのである。洗濯はコインランドリーで出来るし、シャワーも浴びてたりするので、別段、ものすごく不潔というわけでもない。しかし、労働やお金から解き放たれた、と言うのは少し無理があるのではと思うくらいにはこの映画でも労働のシーンは多い。Amazon以外にもRVパークのトイレを掃除したり、ハンバーガーを作ったり、芋を運んだり、忙しない。労働やお金からは決して解放されていないし、何もかもが自由自在というわけにもいかない。土地には縛られていないし、人との関係もあるようでない。無いようで全く無ければ立ち行かない。例えば、助けて欲しい時にたまたま運良く主人公ファーンの近くには助けがあるが、映画でなければ、知らない人には助けてもらえない展開も多いかもしれない。また、白人女性だから、こうした暮らしが出来てるのではという指摘はまさにそうなのだろう。人種の問題を抱えずにアメリカの路上で生きていられるというのはわりとすごいことなのだと思う。

 「ホームレスではなく、ハウスレスなのだ」と劇中、主人公は昔、教師だった頃の教え子に伝えるが、本人の面持ちとしては確かにそうなのだろう。ホームはあるのだ、確かに。ファーンは”ホーム”を無くしたわけではない。これは終盤に更に明確にそのように感じられるシーンがある。彼女のホームは確かに車なのだ。

 途中、彼女の車はトラブルに何度か遭うが、そのたび、なんとかなっている。しかし、車を失うことを恐れる彼女の姿からはこの車自体への愛着、執着の強さがうかがえる。対象的に他の事柄に対する執着は殆ど無く、昔から持っているお皿への愛着くらいだろうか。

 実際、アメリカでは中古車市場がなかなか大きく、日本と違って厳しい車検制度が無いこともあり、結構いろんな価格帯や状態の車が売られている。ここは日本とは確実に違う点であり、3000-5000ドルくらい出せばとりあえず走れる車が買えたりする。(整備状態は本当にディーラーによってマチマチだが) このあたりは生活の実感があるので彼女が修理費に頭を悩ませるのは頷けるシーンであった。古い車になるとまじめに直すとそっちの方が高くつくのはよくあることなのだ。(たとえ安い車を買ってもタイミングベルト交換などで結局中古車本体と同じくらいの修理費になったりもするが)

 今でこそ自分は駐在員として不自由ない暮らしをしているけれど、こうした日々の暮らしがギリギリ…というのは別に誰にでも降りかかりうる話である。

自分もいつかはキャンプサイトを回り、何日もかけて車でアメリカ横断とかやってみたいなあとか思っていたが実際には相当に大変なことはよく理解できた。


 家賃のべらぼうに高いシリコンバレーなどではある日突然、職を失い、路上生活者に転落する人も多い。なんなら預貯金率はアメリカは日本と比べると恐ろしく低かったりもする。(日本は高すぎるのだが, アメリカは預貯金が少なく投資資金や年金に全振りしてる人も多い)
 自分も昔はそんなに預貯金があった方では無いので、主人公が宵越しの銭のない生活をしていて車が壊れるシーンでは結構ハラハラするのである。突然の2500ドルが払えないというのだから、なかなかにギリギリだ。
 また、風邪をひいたり、手術したりしてもろくな保険に入っていなければ大変な金額が掛かることになる。アメリカは国民皆保険では無いので、健康保険加入は任意であり、加入状況やカバー範囲によっては数百万円レベルの請求が来ることもありうる。(劇中で手術した人が出てくるが、彼はどうやって手術代を工面したのか?という疑問が後半に明かされる。ある意味納得した)

 また、劇中でとある人物のところで、不動産の話が出てくる。これまたリーマンショック後にどんどん経済が回復してくる2012-2013で、世相を反映したシーンだ。実際に、アメリカでは不動産を購入して家の価値が日本のように下がっていかないので、文字通り資産として不動産を運用することが更に容易である。家の管理をしっかりして、値上がりする場所であれば買った時の値段よりも家を高く売ることも可能は可能なのだ。しかし、富の運用や資産形成、資産運用というものからは縁遠い人たちというのはいて、実際にそうした資産を得られないままに老後を迎えてしまった人たちが一定以上いる。アメリカであるからして、自由と責任は表裏一体、資産形成、資産運用は自己責任と断じることは容易だが、どうして車上生活のような老後を過ごさなくてはならなくなったのか、というところで、昔よりも、はるかにセーフティネットが無くなってしまったアメリカ社会を思う。これは近年の日本でも似た感じだと思う。

 

 だが、劇中で見ていて感じるのはまたそうした切実な感覚とは少し異なるところがある、ということだ。主人公は普通の人が考えれば苦しいと感じるだろう生活をそこまで苦しいとは思わず、むしろ楽しんでいる節もあり、いくつかの別の選択肢もあるにも関わらず、差し伸べられる手を何度も辞退し、「敢えて定住をしない暮らし」を敢えて選択するのである。

 

それはなぜか。

 

 明確に主人公自身が語る場面もあるが、彼女はずっと自由に生きたかったのだろう。そして、自由を求めて旦那さんと暮らした街でもまた、必ずしもそれは自由ではなかったということになる。
 この映画で描かれる人々は明確に相手の生き方を否定する人はほぼいない。シェアされる相手の話を聞き、頷き、自分の経験をまた相手にシェアするのみである。

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そこには相手への共感はあるかもしれないが、過度な入れ込みは無い。適度な距離感がある。ノマド同士は実利的に繋がる意義があれば互いに連絡を取り合い、仕事を紹介し合うのみである。お互いに差し延べられる手は大きくはないし、大抵はみんな自分で精一杯である。これは別に、普通の生活を送る人ですらそうである。そして、たまに集まり、故人を偲び、ノウハウやストーリーを共有し、また散り散りにそれぞれのノマド生活に向かっていく。ある人は亡くなり、ある人はノマドの暮らしから定住者の暮らしに戻ったりする。
 主人公ファーンは映画の観客と殆ど似た視点で美しい自然や景色を観て、文字通り全身で浴びるようにそれを感じ、そして、また、違う場所に向けてまだ見ぬ景色を見るために旅をするのである。

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ファーンもいずれはこのアテのない旅をする人生を考え直すこともあるのかもしれないが、今は目の前に広がったどこまでも続く大自然やそこの周りで暮らす人々の話に耳を傾けて自分のこれまでの生き方に向き合っていき、自分の過去とも決別していくのである。

大自然はさりげなく主人公の背景にあり、常に主人公の背後か目の前にあるが、様々な素晴らしい情景や瞬間をライブ感たっぷりに切り出している。

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 この映画は本やドキュメンタリーが元になっているところからも、ファーンの立ち位置は多分にそうしたドキュメンタリーのカメラ目線、視点である、とも言えるが、きちんとそこには物語が静かに流れていて、終盤に彼女は自分の生きてきた場所がどういう場所だったかに想いを馳せ、また、旅に向かっていくのである。

 人はだれしも死ぬまでにしたいことのリスト=バケットリストというものを持っていたりするものだが、明日もし自分が死んでしまうとすれば、自分は何をしたいだろうか、そういうこともまた、考えさせられる映画だった。