映画「ファウンダー」 やり抜く力、巻き戻せない決断、仕組みで勝つビジネス

 

映画ファウンダーをNetflixで英語で鑑賞。

いやー、日本語版を観たらよかったかなあと思いつつも、まあアメリカに6年もいるんだからこれくらい字幕つけたら内容は追いつけるだろうと思って最後まで鑑賞。

映画としての感想を少し書いておきたい。

 

学びが大変多い作品だった。

1950年代はまだアメリカはいわゆる「古き良きアメリカ」でそれこそアメリカンドリームを夢見る人たちで溢れた国だったのだろう。

世界最大のハンバーガーショップチェーンのマクドナルドがアメリカに現れる頃というのはまだ、ドライブスルーではなく、ドライブインというのが一般的だったようだ。

乗りつけた車にウェイトレスが注文を聞きにきて、そして、その後に窓にトレイを取り付けてそのトレイ上の皿に乗ってる食べ物を食べるというドライブインスタイルだった、というのはなかなか面白い発見であった。いまや、なかなかお目にかかれないスタイルだ。

まだアメリカにはちょくちょく残ってるスタイルではある。カリフォルニアのシリコンバレー周辺だとSonic drive inなどだろうか。奇しくもこのドライブインスタイルは2020年のコロナ禍で再注目されたとか。

 

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ameblo.jp

 

 当時、北米で主流だったこうした「ドライブインスタイル」のお店にミキサーを売り込みに行くセールスマンだったのが、マクドナルドの「ファウンダー」となるレイ・クロックだった。

 この映画はレイ・クロックがいかにして、マクドナルドを見つけ、そして、フランチャイズとして成功させていくか、という姿を描いていく映画だ。ノンフィクションみたいなものだからある程度結末は分かっていると言って良い。ネタバレが嫌な人は先に映画を観てほしい。

 

 このファウンダーという映画はレイ・クロックの自伝を元にした作品であり、詳しくはこの自伝を読んだ方が理解が深まると思う。ので、本は別途読んでみる予定。読んだらその後にこの記事も加筆するかもしれない。

 また、様々な記事を読む中で分かったのは、この映画はマクドナルドからの協賛を一切受けてない点、そして、映画は自伝だけでなく、マクドナルド兄弟の親類縁者のコメントによる視点も含めて描かれている点だろうか。そのため、レイ・クロックの成功譚だが、礼賛とも一概には言えない映画となっており、観賞後の後味はややほろ苦いものともなっている。

 

 ファウンダーというのは通常は会社の創業者を指す。foundation(基礎)を築く人だからfoundarと呼ばれる。foundの語源が土台を据えるだとか基礎をおく、という意味の言葉だそうな。

 

非常に意味深なタイトルと言える。

 

 特にこの映画では、レイ・クロックがいかにマクドナルドを見つけ、フランチャイズを推し進め、そして最後にはマクドナルドの業態の発明者であるカリフォルニア州サンバーナディーノで開店させたマクドナルド兄弟から、その権利を全て奪った(買い取った)、と言っても過言ではない仕打ちを行うところからも、本当のファウンダーとは誰なのか?何が企業の基礎なのか?と言うことを問うような話になっている。

 私見を述べれば、マクドナルドというお店の業態はあくまでファーストフードであり、そのレストランとしてのビジネスモデルや店舗設計、運営の基礎の基礎を築いたのは間違いなくマクドナルド兄弟ではあるが、その後のフランチャイズ業態や店舗管理の徹底、拡大、そして、不動産を元にしたビジネスモデルの確立はやはりレイ・クロックの「功績」なのだろう。なので、現在世界中にビジネス展開する「マクドナルド」の本質的な創業者はやはりマクドナルド兄弟だけではありえないし、レイ・クロックだけでもあり得ないのだろう。

 カリフォルニア州の第1号店の創業者はマクドナルド兄弟で間違いないが、その後に全米や全世界に広がったマクドナルドチェーンの創業者は間違いなく、レイ・クロックとなる。レイが居なければマクドナルドは今でもそんなに大したチェーンにはなっていなかっただろうし、世界におけるハンバーガーやファーストフードの位置付けも少しないしは大幅に変わっていたかもしれない。

 映画を見る限り、レイの視点だけでは描かれないため、レイ・クロックは実際にはもっとマクドナルド兄弟に敬意を払うべきだったとも思わされるが、レイ・クロックの努力をマクドナルド兄弟がきちんと見ることも認めることもなかったのではないかな、とも思われる。(マクドナルド兄弟はカリフォルニアの1号店の経営に勤しんでおり、レイの奮闘をマクドナルド兄弟がわざわざイリノイまで見に来るようなことは無かったように描かれている)

 レイ・クロックはイリノイ州からフランチャイズ加盟者を増やし、マクドナルドの店内での生産システムをきちんと確立して、また店舗運用や管理を店長たちに伝授していっていた。身銭を切って、フランチャイズを広げ、きちんと各店舗を成功させ、店舗のクリンネスやクオリティを保ち、売上を拡大させた。

 レイの店舗拡大活動は精力的な活動だったし、その努力もまたもっと認められるべきものだったようには思う。

 

 結果的に、映画の最後は互いに尊敬しあえず、悲しい物別れに終わってしまうのであった。

 ビジネス上の決断で最も難しいことは朝令暮改であり、やり抜くことでもある。間違っていたと認めてやり直すことも重要であるし、自分たちが最初に信じたことを成功するまでやり遂げることもまた重要である。

 

映画的誇張

映画に関するトリビアは色々ある。

下記記事などはなかなか興味深い話だった。2人目の奥さんの話をやっている暇は無かったということだろうか。映画的にも脇道に逸れるから割愛したということか。ロゴを巧妙に隠している、というのはなるほどとも思わされた。実際、ゴールデンアーチって何回も言われるから、そのロゴを「見た気になる」不思議。

hibino-cinema.com

 

 レイはマルチミキサーをレストランに売り込みに行く仕事を生業にしているわけだが、彼が52歳にこの仕事をするに至るまでの人生はあまり映画では触れられていない。奥さんや周りの登場人物が少し過去について話すくらいだ。レイは劇中、当初、うだつの上がらない感じでミキサーが全然売れなくて困ってる風で描かれる。

 

ピアニストとしてのレイ

 しかし、彼の自伝「成功はゴミ箱の中に」では彼がマクドナルドと出会うまでの前半生が描かれる。戦前、ジャズのピアニストとペーパーカップのセールスの二足の草鞋を履いて深夜まで働いた。ピアニストとしてラジオの生放送もこなしていたという話だからピアノの腕前は相当なものだったのだろう。

 シカゴからフロリダに一時的に引越してピアニストとして生計を立てようとしたところも描かれている。フロリダで初見の楽譜を転調して演奏するようなシーンも出てくる。これはなかなかに素人にはできない。

 映画劇中ではあまりそのことについての言及は無いが、再婚相手との出会いでジャズピアノと歌声を披露する場面があり、レイがピアノの腕前がプロ並みであることが割と唐突に描かれる。実際には、フロリダから戻ったレイはもうピアノは弾かないと決めてセールス道まっしぐらだった、と自伝では言及している。

 モータリゼーションがちょうど巻き起こる頃の話なので、彼が車でシカゴからフロリダに向かう描写も出てくる。

 

自動車での移動ではなかった。

 彼は映画冒頭、マクドナルドに向かう時も車で向かったように映画では描かれるが、彼の自伝によれば、マクドナルドに向かった時は車ではなく飛行機だったようだ。

 

営業マンとしての手腕

 また、ペーパーカップの営業では営業チームを率いていたり、トップセールスだったりと営業マンとしては時流にも乗って大変優秀だった様が描かれている。(自伝だから良く書いてるというのもあるかもしれないが)

 当時新進気鋭だったドラッグストアチェーンのウォルグリーンにもペーパーカップを売り込み、見事に大口契約を獲得する様が自伝では描かれる。彼の取った手法は無料サンプルを渡して実際に持ち帰りで飲み物が売れることを証明することだった。今ではこうした手法はありふれているが、当時は画期的だったのだろう。

 また、マルチミキサーの営業マンとしてもさまざまなレストランに売り込んで長い間、販売活動に勤しんでいる様が描かれている。苦労はあっただろうが、映画のようなうだつの上がらないセールスマンだったわけではなさそうだ。自伝でもこれらのセールスとしての経験がマクドナルドチェーンの経営や仕組みづくりに役に立ったことが記されている。

 

ハリーとの出会いのシーン

 映画ではたまたまレイとハリーは銀行で初めて出会うようにドラマチックに描かれているが、自伝によると、そうではなかったようだ。

 

レイは契約書に弱い

 レイは映画劇中、マクドナルド兄弟と結んだ契約により後半、随分苦しむ。これは契約書の記載事項の細かいところまでそこまで交渉をせずに安易にサインしてしまったところから始まるのだが、彼はミキサーをセールスとして売り始める時にもやはり契約に縛られて大変苦労している。(彼にはどうしようもなかった面もある。)

 劇中では描かれないが、レイはマクドナルド兄弟との契約でもミキサーの時の契約と同じような轍を踏む羽目になっている。

 アメリカは契約に基づく訴訟社会、契約書の中身の読解力や交渉が出来なければ、相手の都合の良いようにされてしまうということを如実に表している。

 契約書はよく読んで、ビジネススキームをしっかり考えてからサインしよう、というのがこの映画から読み取れる一つの学びになっている。(レイは自伝でも契約書に苦しむ様に言及しており、自身がその点において迂闊であることは認めている)

 

マクドナルド兄弟の視点

 マクドナルド兄弟は自分たちの店で、ファストフードのオートメーションのやり方を見事に確立したが、一方で、そのフランチャイズでは自分たちの信念を曲げてしまった。(テニスコートで店舗の絵を描いて、人を実際に流してキッチンを設計したのはかなりイノベーティブなやり方だろう。トヨタカイゼンにも通ずる) 必ずしも、フランチャイズを始めたことは間違いではなかったが、その後の失敗を思えば、最初の決断も誤りだったかのように思えてくるだろう。

が、マクドナルド兄弟の本当の失敗はその後の展開にある。

 レイ・クロックの暴走を止められなかったし、彼に最初に契約した契約書を守らせることも、再交渉時に譲歩することも出来なかった。元々、レイが最初に助けを求めてきた再交渉時に少しでもレイを助けていれば、ここまでの事態にはならなかった可能性すらある。

 得べかりし利益(逃した魚)はとてつもなく大きかったが、大したお金を得られないままに、マクドナルド兄弟は庇(フランチャイズ権)を貸して母家(自分たちの元々の店舗)すら取られる羽目に陥った。彼らの最初の決断は巻き戻せない決断となってしまったのだった。

 

レイ・クロックの視点

 レイの視点から見れば、自分が決めた仕事や方針を「やり抜くこと」の重要性を思い知らされる。また、契約に納得出来なければその方向性を再度議論し、一度自身がサインした契約書でも放り出して新たな方向性を探ることも厭わない。成功の裏には成功への貪欲さがある。彼の場合、この映画の中での大きな転機、point of no returnは2つある。

 

  • カリフォルニアの片田舎のマクドナルドを「発見」し、渋るマクドナルド兄弟を粘り強く説得してフランチャイズを始めたこと
  • マクドナルド兄弟との契約を粘り強く交渉して最後には反故にしつつ、マクドナルドチェーンを不動産買収を元にしたチェーンに作り直したこと

 

大変面白いことにレイ・クロックは明らかに単独ではどちらもやり抜くことはできなかった。

もし、レイがマクドナルドを知らなければ、彼は単なるミキサー売りで終わっていただろう。

また、ビジネスモデル転換を出来ていなければ、単純に破産して失敗者となり、マクドナルドとともに歴史の流れに埋もれていただろう。ビジネスモデル転換自体も彼のアイデアではない。

 

ハリーが考案したビジネスモデルの転換

 

knnkanda.hateblo.jp

 

"You're not in the hamburger business, you're in the real estate business."

 

 この映画で静かな会話シーンながらに1番エキサイティングな瞬間、そしてセリフと言ってもいいが、それがハリーの上記のセリフである。

このハリーが起案した単なるフランチャイズからのビジネスモデルの転換はマクドナルドを資産リッチな会社に変貌させた。

マクドナルドの主要ビジネスはたちまちレストランのフランチャイズチェーンから不動産業となり、着実な利益を産むことになった。

 

映画でも早すぎて全てが追えなかった内容だが、下記記事に詳しい。

 

blog.goo.ne.jp

 ビジネスでは「ビジネスモデルをどのように考えるか」で大きく稼ぎ方が変わる、と言うことを端的に示している好例だろう。

 誰を相手にビジネスをしているのか、お金はどこから支払われるのか、どうやってお金を自分たちの元に支払われるように流れを作るのか。

 レイ・クロックは確かに「徹底的にやりぬく力」があるけれど、どんなに頑張ってもやり方がまずければ、お金をもらえる仕組みが無ければ、倒産しかねなかったわけだ。レイがイリノイで愚直に質の高いハンバーガーを売ろうとしていたからこそ、ハリーとも出会えた、とも考えられるが。(もし、劇中のような出会いだったのだとしたら、だご)

 この映画は勿論、レイ・クロックの自伝を元にした作品ではあるが、マクドナルド自体の会社としての成功の秘訣が何だったのか、というと、ハリーの存在、そして彼の起用無くしては、こんにちのマクドナルドチェーンは存在していなかったのだろう。

 ハリーを見そめたレイにも人を見る目があったとも言えるが…。