映画「ドントルックアップ」とアメリカ

笑えるようで笑えない。笑えないようで笑える。

 

アメリカの政治や社会をSF映画の体で痛烈に批判。

SF映画要素はほとんど無くて基本的にはコメディ。

だが、役者が本当に豪華。こんなに豪華な役者陣で織りなす彗星追突に絡むドタバタ劇を描く。

Netflixで観られたので鑑賞。

 

序盤の始まり方から大統領に会うちょっと前までの展開はまさに「アルマゲドン」的な展開が訪れるのかと思われるのだが、そこから二転三転して斜め上の展開になっていく。コメディなので、重要なシーンがある、という類の映画ではないが、ある意味で目が離せない展開も多く、引き込まれる展開であったと思う。

 

本当に大事なことは何なのか。

決定的なタイミングで誰が何をどうすべきなのか。

理性や科学は時に権力や政治に利用されてるのではないか。

時に科学は簡単に無視されてはいないか。

政治や権力を司る一握りの人たちがどれだけ欲深く、自分だけが良ければ良いと思っているのか。

資本主義/民主主義は人類が滅亡の危機の時にきちんとあるべき行動や選択を取れるのか。

行き過ぎた資本主義は人を滅ぼすのではないか。

どんなに科学を重視する人でも時に目先の色んな欲に目が眩んでないか。

中立であるべき権力は資本におもねってはいないか。

本来他者を思いやるべき立場の人たちが自己中心的な考え方をしすぎてはいないか。

大事なメッセージは伝え方が大変に重要ではないか。

それはデータが先がいいのか、事実が先がいいのか、結論から話すべきなのか。

世界の終わりは政治家の汚職よりも軽いニュースなのか。

データは科学者以外には丸めて話すべきか、それとも細かい数値の話は必要か。

どんなことも軽々しく取り扱うべきなのか。

あるべき方向に話が進んでいる時に横槍を入れて捻じ曲げたやつらは最後に何を得るのか。

話し方は丁寧な方がいいのか。それとも声を荒げた方がみんなは耳を貸すのか。

事実を直視しない人たちは何をしたら直視してくれるようになるのか。

そして、その時には手遅れではないのか。

本来、市民に求められる態度や心構えとはどういうものなのか。

 

主人公は最初、Twitterでのフォロワーを荒稼ぎして自己の欲求を満たしていたようにも思えるが、それは最終的にはテレビに出まくったりと様々な形で彼の秘めたる承認欲求を満たしていく。Look up!, Don't look up!のくだりまでくると、もはや、どこかで見た選挙戦みたいな様相を呈してくる。

「そこにそれがあるかどうかはもはや、重要ではない時期」にそうした本質ではない言い争いをしているというのが末期的である。

そこにあることを実際に視覚的に証明できても、もはや人類の文明社会はあと数日しかないことがほぼ明白だったりする。

「今、目の前にある危機を回避するために取るべき最適解を取らない人たち」というのは何も衆愚だけではなくて、それによって選ばれた人たちや資本主義の中ではとびきりのエリートのはずのお金持ちだったりするのも示唆的だ。誰もが単純に考えれば、やるべきことは決まっていることをどうして素直にやれないのか。誰も協力し合えないのか。罵り合いになってしまうのか。

 この映画のそこかしこに散りばめられている光景はなんならコロナ禍前後にアメリカに住む多くの人たちが何度も見た光景であり、コロナ禍におけるアメリカの暗喩であることは明白だ。

 宇宙人が攻めてきたり、彗星が落ちてきたりでも構わないが、最悪の事態に、事態を収拾させずむしろ、その事態を利用してなんとか儲けてやろうとか、自分の政治的地盤を確かなものにしてやろうとか、そんなことをする人たちというのは本当にたくさんいる。コロナ禍よりも更にもっと酷い深刻な事態として彗星衝突を物語の狂言回しとして置いただけで、描かれた話の殆どが今のアメリカや世界に繋がる「どこかで見た光景」である。

 

 現実には世界最悪のパンデミックの最中、アメリカでは80万人以上がコロナで亡くなったと言われている。全世界では500万人と言われている。アメリカの死者数は南北戦争や世界大戦で亡くなったアメリカ人の数よりもはるかに多いと言われている。歴史上、類を見ないほど人が亡くなったコロナ禍においても世界はひとつには全くなれなかった。史上最速でワクチンは出来たし、急ピッチで治療薬は普及に向けて生産されているが、まだまだコロナは収束していない。マスク付けるだけで暴動が起こり、ワクチンを受けさせようとしても20-40%の人はワクチンを受けようともしない。人々は対立し、コロナそのもので人が死ぬのに、完全に政治issueと化した。

 我々はつまり、未曾有の危機を前にして「団結」とはずいぶん遠いところにいる。自国の利益を優先し、他国の批判を繰り返し、国と国の境は閉ざされ人の往来は激減した。

映画館は閑散として、今も客足はなかなか戻らない。ブロックバスター級の映画であってもNetflixで公開されたりするし、HBO maxなどでも早期に公開されたりする。おかげでこんな映画でもサクッと家で観られたりするわけだが。

 

そんな世界の危機でも団結できないし、現実を直視できないし、科学を無視しまくる利己的な人たちを揶揄してまざまざと劇中で描いてるという意味で、今まさに観るべき映画なのかもしれない。

 

願わくば、「いつか来るかもしれないコロナ禍よりも更に酷い危機」に瀕しては人類はきちんと団結出来れば良いのだが。