中秋節 環南市場の夜

 

台北で暮らし始めて半年ほどになる。

台湾に来てから、仕事や家族との生活を通じていろいろなものを見てきたが、今回の出来事はちょっと面白かった。

きっかけは、環南市場で開かれたBBQだった。

18時集合。市場の裏手に回ると、そこにはものすごい数のテーブルと椅子が並んでいる。台北市場関係者を中心とした、かなり大きな集まりらしい。

鶏肉や魚介類が次々と焼かれていく。

ロブスターにイカ、そして鶏肉。日本のBBQなら牛肉が主役になりそうなところだが、こちらはかなり台湾らしい。そして、妙に印象に残ったのが、少し甘くてふわふわしたパン。こういうところにも食文化の違いが出る。

しばらくすると、会場が少しざわつき始めた。

台北市長の蔣萬安が来るという。

実際に市長がやって来ると、会場の空気が変わった。

とはいっても、市長が主催者というわけではない。あくまで市場側が開いたイベントに、市長や市議会議員ら政治家たちがゲストとして顔を出している、という感じだ。

市長は会場のテーブルを回り、参加者と乾杯する。

報道によれば、この日は環南市場のBBQで参加者とテーブルごとに乾杯していたため、次の予定に35分遅れたという。

そしてステージでは、議員や候補者らがカラオケで一昔前っぽい曲を朗々と歌う。

うちわやティッシュなどを配っている人もいる。飲み物もかなりの量が用意されていた。

さらにステージから、

「當選!當選!」

という声が飛ぶ。

今は11月に選挙を控えた時期だけに、どうしても選挙を意識する。

ただ、ここが面白い。

これは「選挙集会」として開かれた場所ではない。市場関係者が集まってBBQを楽しむイベントなのだ。

そこに市長が来て、政治家が歌い、参加者が盛り上がり、その中に選挙らしい光景も自然に入り込んでいる。

日本で同じ光景を想像すると、少し不思議な感じがする。

もちろん、政治家が地域イベントに参加したり、普通の飲食物や低額の宣伝物を配ったりしただけ。一方で、投票の依頼と引き換えに利益を提供したり、特定の集団に過大な利益を供与したりすれば、選挙法上の問題になり得る。

つまり、今回のようなイベントも「何を、誰が、どのような目的で提供したのか」によって意味が変わってくる。

そんなことを考えながらも、現場ではそんな堅苦しい雰囲気はまったくない。

ロブスターを食べ、イカを食べ、鶏肉を食べ、歌を聴く。

その横を市長が歩いていて、政治家がステージで歌っている。

なんとも台湾らしい夜だった。BBQの煙で目が染みた。

海外赴任というのは、観光地を巡ることだけではない。

こういう、たまたま参加した地域のBBQのほうが、その土地の社会の仕組みを垣間見せてくれることがある。

今回の環南市場の夜も、そんな一晩だった。

徒然

曲がりなりにも「経営」と呼ばれるようなことを始めて、数カ月が経った。

これまでとは違う種類の出来事が、いくつかあった。

詳しいことを書くつもりはない。ただ、そんな出来事を眺めながら、ふと「人を呪わば穴二つ」という言葉が頭に浮かんだ。

昔、父方の叔父から聞いた話を思い出した。

ある人の不幸を、お稲荷さんに願ってしまったことがあった。ところが、その直後、本当にその人が事故に遭ってしまったという。もちろん、それが祈りと事故との間に因果関係があるのかどうかなど、誰にも分からない。

けれど、叔父はそのことをひどく後悔し、すぐに相談して、その願いを取り消そうとしたのだという。

子どもの頃に聞いた話だったと思うが、今になって妙に思い出す。

強すぎる憎悪や怒り、あるいは負の感情というものは、相手に向かっているようでいて、結局は自分自身を傷つけることがある。

腹が立つことはある。納得できないこともある。人間だから、そういう感情を持つこと自体は仕方がない。

ただ、その感情を抱えたまま、それを動機にして何かをしてしまうと、ろくなことにならない。

経営という立場に立ってみると、なおさらそう思う。

感情をなくすことではなく、感情がある状態でも、それに振り回されずに判断する。いわゆるアンガーマネジメントというものも、単なる個人の生活上のスキルではなく、人の上に立つ立場には必要なものなのかもしれない。

そしてもう一つ、最近よく考えるのが「人を育てる」ということだ。

人は勝手に育つのだろうか。

もちろん、本人の資質や努力は大きい。けれど、環境や周囲からの働きかけも、決して小さくない。

そんなことを考えていたところ、久しぶりに17~18年ほど前に自分が書いた日報を読み返す機会があった。

つい数年前に採用した、非常に優秀な若手が書いた日報とも読み比べてみた。

そして、ちょっと笑ってしまった。

いや、笑えない。

当時の自分は、驚くほど物事をまとめるのが下手だった。

そういえば、昔、先輩から「議事録が全然書けてない」と言われたことがあった。当時は、とにかく目の前の仕事に食らいつくのに精一杯だった。本人としては一生懸命だったし、それなりにできているつもりでもいた。

ところが、何年も経った今、改めて読み返してみると、文章も、整理の仕方も、論点の捉え方も、かなり心許ない。

赤面するようなものまである。

そう考えると、若い人に対して偉そうなことを言える立場でもないな、と思う。

誰にでも若い頃がある。

若い頃の自分というものは、なぜか自分だけは特別だと思っている。自分なりに考え、自分なりに頑張っていて、それなりに物事が見えているつもりになっている。

でも、何年か経って振り返ってみると、案外たいしたことはない。

そして、たぶん今の自分も同じなのだろう。

十数年後の自分が今の日報やメールや、この文章を読み返したら、「ずいぶん分かっていなかったな」と苦笑するのかもしれない。

経営らしいことを始めて数カ月。

人の感情についても、人を育てることについても、そして自分自身についても、まだまだ分かっていないことばかりだ。

ただ、昔の自分を思い出すことができれば、今目の前にいる若い人たちに対して、もう少し気長でいられるのかもしれない。

人は、すぐには育たない。

そして、自分自身もまた、何年経っても育ち切らない。

そのくらいに思っておいた方が、案外ちょうどいいのだろう。

陽明山ヒルクライム

陽明山を自転車で登って、幻のロープウェイを思う

天母からロードバイクで陽明山へ登ってみた。自宅からは7-8キロくらいの距離。

思っていた以上に坂はきつかった。ようやく陽明公園あたりまでたどり着くと、そこには温泉地があり、さらに山の斜面には立派な住宅も見える。台北の街からそれほど離れていないのに、急に別荘地のような雰囲気になるのが面白い。

陽明山を自転車で登っていて、ふとアメリカ西海岸を思い出した。都市のすぐ背後に山があり、その斜面には立派な住宅があり、曲がりくねった道路を車やバイクが行き交う。山なのに田舎ではなく、都市生活の延長として山が存在している。その感じが、どこか西海岸に似ていた。

ただ、帰りのダウンヒルは思ったほど楽しめなかった。

せっかく苦労して登ったのだから、帰りくらいは風を切って下りたい。ロードバイク乗りとしては当然そう思うのだが、実際には交通量が多く、カーブも多い。対向車やバス、スクーターを気にしながら、結局ずっとブレーキを握っていた。

そんな話をしていたら、「陽明山には昔、ロープウェイを造る計画があった」と聞いた。

調べてみると、実際にかなり具体的な計画だった。北投から陽明山まで約4.8kmを結ぶ「北投線空中纜車」という構想で、新北投から龍鳳谷、陽明公園を経て陽明山までを結ぶ予定だったという。

しかも、単なる構想にとどまらず、2000年代には事業化が進み、着工までしていた。しかし環境影響評価などをめぐる問題から計画は頓挫。最終的に実現することはなかった。

今回、実際に自転車で陽明山を登ってみて、少しだけその意味が分かった気がする。

確かに、あの坂道を登る交通をロープウェイに逃がせれば、道路の混雑緩和には効果がありそうだ。一方で、陽明山は温泉地であり、住宅地であり、そして自然豊かな国立公園でもある。そこに大量の観光客を運べるロープウェイを造れば、交通問題を解決する一方で、山そのものへの人の流入を増やしてしまう可能性もある。

便利にすることと、自然を守ること。

陽明山を自転車で登ってみると、そんな二つの価値が同じ山の中に同居していることがよく分かる。

そしてわたしとしては、とりあえず次回登るときには、もう少し交通量の少ないルートと、ちゃんとダウンヒルを楽しめる道を探したい。

中秋節と月餅

台湾に来て初めて迎える中秋節が近づいてきた。

 

日本にいた頃も「中秋節」という言葉を知ってはいたけれど、台湾に来ると、その存在感がまるで違う。

 

街のあちこちで中秋節向けの商品が並び、ホテルや菓子店が趣向を凝らした月餅を売り出す。そして、企業間でも中秋節の贈答品が盛んに行き交う。

 

仕事をしていると、それがよく分かる。

 

今年、会社宛てに取引先からいくつか中秋節の贈答品が届いた。

 

その中には、台北の高級ホテルの月餅もあった。

 

6個入りの箱には、それぞれ異なる味の月餅が入っている。「烏豆沙陳皮」というものもあり、黒豆餡に陳皮を合わせたものだった。

 

いかにも中華菓子らしい組み合わせで、日本で一般的にイメージする月餅とは少し違う。甘さだけで押すのではなく、餡の風味と陳皮の香りを楽しむような味わいだった。

 

別の取引先からは、台湾の人気糕餅店の月餅が8個入りで届いた。

 

こちらは高級ホテルというより、台湾のローカルな菓子文化を感じさせるものだった。蛋黃酥など、台湾で親しまれている菓子の存在感が強い。

 

さらに別の会社からは、台湾の老舗糕餅ブランドの中秋節ギフトも届いた。

 

こうして会社に届いたものを並べてみると面白い。

 

高級ホテル、老舗の糕餅店、地元で人気の菓子店。それぞれが違った形で「中秋節」というイベントに商品を合わせている。

 

一方、こちらの会社が中秋節に用意しているのは、世界的に知られたコーヒーチェーンの中秋節向け菓子だ。

 

これもまた台湾らしい選択だと思う。

 

伝統的な月餅そのものではなく、誰でも知っているブランドを使いながら、中秋節という季節の贈答文化に合わせている。

 

こうしてみると、中秋節のギフトには、その会社の考え方やブランドの性格が少し表れているようにも思える。

 

そして9月17日、台北の街を歩いていて目に入ったのが「台北犁記」だった。

 

店の前には長い行列ができていた。

 

台北犁記は、台湾では月餅や糕餅で知られる老舗。中秋節になると、わざわざ買いに来る人が大勢いるらしい。

 

実際に店の前にできた行列を見ると、月餅が単なる「季節のお菓子」ではなく、台湾の中秋節における一つの文化になっていることが実感できる。

 

日本にもお中元やお歳暮、年末年始の挨拶など、季節の贈答文化はある。

 

ただ、台湾の中秋節は少し違う。

 

中秋節という一つのイベントを軸に、家族で楽しむための商品と、会社同士で贈るための商品が同時に大きな市場を形成している。

 

ホテル、百貨店、老舗糕餅店、外資系ブランドまでが、それぞれのブランドイメージを月餅や中秋節ギフトに落とし込んでいる。

 

仕事をしていると、その文化が「会社に届く箱」という形で見えてくる。

 

今年はまだ台湾に来て半年ほどだが、会社に届いたいくつもの中秋節ギフトと、街で見かけた月餅店の行列を通じて、台湾における中秋節というものが少し分かった気がする。

 

月餅そのものを食べるだけなら、一つのお菓子に過ぎない。

 

けれど、その箱が会社と会社の間を行き来し、そこにホテルや老舗菓子店のブランドが載り、街にはそれを買うための行列ができる。

 

台湾では、中秋節は「月餅を食べる日」というより、家族や人とのつながりを確かめる、かなり大きな社会的イベントなのだろう。

 

 

そんなことを思いながら、今年の中秋節を記録しておく。

台湾の街並み

台湾に住み始めて、街を歩くたびに気になっていたことがある。

建物の外観が、どうにも揃っていない。

同じ建物なのに窓の形が違う。ベランダをアルミサッシで囲っている部屋があれば、鉄格子だけの部屋もある。エアコンの室外機も思い思いの場所に付いている。1階には店舗の看板が並び、その上には住宅があり、さらに屋上には何かが増築されている。

日本のマンションなら、「建物全体として完成した外観」を維持しようとするところだろう。

ところが台湾の古い街では、建物が完成した後も、住民や店舗が何十年にもわたって少しずつ手を加えてきたように見える。

最初は、それを単なる「雑多さ」だと思っていた。

ところが、街を歩いているうちに、もう一つ気になるものが見えてきた。

建物の1階部分が道路から少し後退していて、その上に屋根がかかっている。柱が連続し、その下を人が歩いている。

台湾でいう「騎樓(チーロウ)」である。

日本人の感覚なら、商店街のアーケードに近い。しかし、実はかなり違う。

騎樓は、最初から共同の屋根を道路に架けたものではない。建物ごとに1階部分を後退させ、建物と道路の間に歩行空間をつくる。台北市の規定でも、騎樓は道路境界線から建物の地上階外壁までの「法定空地」とされ、公共の通行空間として扱われている。

つまり、そこは「店の前」でありながら、「街の歩道」でもある。

この中間的な性格が、台湾の街を理解する鍵なのかもしれない。

台湾の伝統的な呼び方は「亭仔腳(ティンアーカ)」だった。台湾は夏の日差しが強く、しかも雨が多い。そこで昔の街屋では、軒を深く出したり、建物を後退させたりして、雨や日差しを避けながら歩ける空間をつくった。

台湾の文化資料では、亭仔腳は「遮陽避雨」のための空間であると同時に、商店にとっては店舗の延長でもあったと説明されている。

つまり、騎樓は単なる「歩道」ではない。

店と街の境界を曖昧にする空間なのだ。

店内から商品が騎樓にはみ出す。人が立ち止まる。飲食店ならテーブルが置かれる。かつては商売や作業の場としても使われた。

そして、この仕組みが台湾の街の独特な雑多さを生んでいる。

建物の中だけで生活が完結しない。

店舗の活動が騎樓へ染み出し、騎樓から道路へとつながっていく。

だから台湾の街を歩いていると、建物と道路の境界が妙に曖昧に感じられる。

実は、この騎樓にはかなり長い歴史がある。

その起源は清代の街屋にも見られるが、現在につながる制度として大きく整えられたのは日本統治時代だった。

1900年に台湾総督府が制定した「台湾家屋建築規則」では、道路に面する家屋について、遮蔽された歩道を設けることが規定された。その後、1936年の「台湾都市計画令」でも、道路沿いの建築物に騎樓を設ける制度が整えられていった。

台北の都市景観には、日本統治時代の都市計画が、今もこういう形で残っている。

そして面白いのは、騎樓が「私有地なのか公共空間なのか」という問題を現在も抱えていることだ。

実際には建物所有者と深く結びついた空間なのに、行政上は歩行者のための道路空間として扱われる。

だから「ここは自分の建物の前なのだから使っていい」と考える人と、「ここは歩行者のための道路だ」と考える行政との間に、どうしても緊張関係が生まれる。

台北市では現在も騎樓の段差をなくし、歩行者が連続して通れるようにする「騎樓整平」が進められている。

そう考えると、台湾の街でよく見かける「微妙な段差」「違う種類のタイル」「柱」「店の商品」「時にはバイク」といったものも、単なる無秩序ではない。

そこには、土地所有、建築、商業、歩行、気候、防災、そして何十年にもわたる住民の改修が重なっている。

同じことは、最初に感じた「建物の窓がバラバラ」という現象にもつながっている。

台湾の古い建物では、建築された時点がゴールではない。

その後、住民が防犯のために鉄格子を付け、雨よけを付け、ベランダを囲い、窓を交換し、エアコンを取り付ける。

建物の外観には、その建物が過ごしてきた年月がそのまま刻まれていく。

日本では、建物を「完成品」として見ることが多い。

台湾では、古い建物ほど「長い年月をかけて更新され続ける生活の器」に見える。

香港の古い街並みにも似たところがある。

香港では高密度な都市構造の中に、看板、窓、室外機、増改築などが積み重なっている。

ただ、台湾の街には香港とは違う種類の「生活の露出」がある。

香港が垂直方向に積み重なっていく都市だとすれば、台湾は騎樓を介して、建物から道路へ、水平方向に生活が染み出していく都市なのだと思う。

だから、台湾の街を歩いていると雑然として見える。

しかし、その雑然さを一枚ずつ剥がしていくと、そこにはかなり合理的な仕組みが見えてくる。

強い日差しと雨から人を守る。

店と街をつなぐ。

建物と道路の間に緩衝空間をつくる。

そして、何十年にもわたって住民が自分たちの生活に合わせて建物を更新していく。

「どうして台湾の建物は、こんなにバラバラなんだろう」

そう思っていた自分が、今では少し見方を変えた。

バラバラなのではない。

長い時間をかけて、それぞれの建物が、それぞれの事情で変化してきた結果なのだ。

そして、その建物と道路の間にある、屋根のついた細長い空間――騎樓。

台湾の街を歩くということは、実はこの「建物と街の境界」を歩くことなのかもしれない。

最適化(AI小説風)

 

最適化

 2038年。

 スマートフォンを一台製造するために、人間が製品に直接触れる時間は、三分を切っていた。

 組み立てはもちろん、部品の搬送、通電試験、カメラによる外観検査、シリアル番号の照合、梱包、パレットへの積載まで、そのほとんどをフィジカルAIが担っている。

 天井を走る搬送ロボットが、組み立てを終えた端末を試験工程へ運ぶ。

 ロボットアームが端末を治具にセットする。

 数百項目の試験が数秒で実行され、異常があればAIが過去の膨大な試験データと照合する。再試験が必要なのか、廃棄なのか、それとも人間による確認が必要なのか。その判断までAIが行う。

 梱包工程では、カメラが製品番号を読み取り、出荷先ごとに異なる付属品を選び出す。

 箱に入れられた製品は重量センサーを通り、ラベルが貼られ、完成品は搬送ロボットによってパレットへ積まれる。

 人間に残された仕事は、AIが判断できない「例外」を処理することだった。

 それは、かつての工場から考えれば夢のような職場だった。

 重いものを持つ必要はない。

 危険な場所に入る必要もない。

 同じ作業を何時間も繰り返す必要もない。

 人間は、考えることだけに集中すればいい。

 少なくとも、そう言われていた。

 アンディは、この工場に十九年勤めていた。

 AIが工場に入ってくる前の時代も知っている。

 端末を一台ずつ治具にセットし、試験結果を紙に記録していた時代。

 梱包箱に入れる付属品を、自分の目で一つずつ確認していた時代。

 不具合が出れば、過去の経験を思い出し、先輩に聞き、試行錯誤しながら原因を探した時代。

 アンディは、その頃の仕事をよく覚えていた。

 だから、工程については誰よりも詳しいという自負があった。

 そして、仕事ができる人間だと思われることが好きだった。

 出勤すると最初に工程ダッシュボードを見る。

 生産性。

 不良率。

 再試験率。

 残業時間。

 そして、自分の評価。

 AIが導入されてから、評価は以前よりずっと細かくなった。

 作業の速さだけではない。

 判断の正確さ、他部署との連携、トラブルへの対応、部下への指導、さらには作業負荷に対する自己管理まで、ありとあらゆるデータが分析されている。

 アンディは、それを嫌ってはいなかった。

 むしろ公平だと思っていた。

 昔のように、上司の好き嫌いや印象だけで評価されるより、ずっといい。

 数字は嘘をつかない。

 少なくとも、そう思っていた。

 問題は、ビリーだった。

 ビリーは、その年に入社したばかりの社員だった。

 悪い青年ではない。

 素直で、挨拶もする。

 分からないことがあれば質問する。

 AIもよく使う。

 むしろ、AIの使い方だけならアンディより上手かった。

「これ、AIに聞けば出てきますよ」

 ビリーはよくそう言った。

 実際、その通りだった。

 試験結果に異常が出れば、AIが過去六か月分、一二八四件の類似事例を数秒で検索する。

 梱包仕様が分からなければ、出荷先と製品番号から必要な付属品を提示する。

 手順を忘れれば、工程AIが次の作業を教えてくれる。

 ビリーはAIに助けられていた。

 アンディもそれを否定するつもりはなかった。

 それでも、ビリーは遅かった。

 AIが答えを出すまでではない。

 AIが答えを出した後だった。

 ビリーは、なぜその答えになるのかを理解するのに時間がかかった。

「この場合、再試験ですか?」

「エラーコードを見れば分かるだろ」

「あ、そうか」

 ビリーがAIに画面を向ける。

「このエラーコードの場合は?」

「再試験を推奨します」

「ほら、やっぱり再試験ですね」

「……そうだな」

 アンディは答える。

 AIがあれば、ビリーは仕事ができる。

 だが、AIが答えを出してくれない「例外」になると、途端に動きが遅くなる。

 そして、その数十秒の遅れが積み重なった。

 五分。

 十分。

 最後には、工程全体の残業になった。

 アンディの評価は、担当工程全体の生産性に連動している。

 ビリーが一つ処理を間違える。

 ラインが止まる。

 全員が残業する。

 アンディの評価が下がる。

 理屈では、それがおかしいことは分かっていた。

 新人のミスまで監督者の責任にするのは、フェアではない。

 だが、AIはそんな事情を考慮しない。

 工程全体の数字だけを見れば、結果は結果だった。

 アンディは、ビリーに厳しく言うようになった。

「AIに聞くのはいい。でも、AIが出した答えを理解しろ」

「はい」

「分からないことを全部AIに投げてたら、いつまで経っても工程を覚えられないぞ」

「分かりました」

 ビリーは素直に答える。

 だからこそ、アンディは余計に苛立った。

 怒鳴りたいわけではない。

 ビリーが嫌いなわけでもない。

 ただ、自分が十九年かけて覚えてきたものを、もう少し自分で覚えようとしてほしかった。

 それに――。

 アンディは、また時計を見た。

 今日も残業だった。

 妻には夕食はいらないと連絡してある。

 明日の朝も早い。

 ビリーが一つ処理を終えられなかった。

 それだけだった。

 休憩時間になった。

 ビリーが休憩室へ向かう。

 アンディは一人、工程に残った。

 フィジカルAIたちは、いつもと変わらず働いている。

 端末を持ち上げる。

 検査する。

 運ぶ。

 梱包する。

 積む。

 疲れない。

 休憩しない。

 残業を嫌がらない。

 アンディは小さく息を吐いた。

「……もう勘弁してくれよ」

 近くでフィジカルAIが箱を持ち上げた。

「ビリーが来てから、毎日残業じゃないか」

 ロボットは答えない。

「何回教えても覚えないし……」

 アンディは周囲を見た。

 誰もいない。

 だから、もう一度だけ呟いた。

「……向いてないんじゃないのか、あいつ」

 フィジカルAIは、何も答えなかった。

 アンディも、それ以上は何も言わなかった。

 その会話が記録されていることを、彼は知らなかった。

    *

 翌週から、ビリーの作業速度が上がった。

 ミスも減った。

「最近、慣れてきたじゃないか」

 アンディが言うと、ビリーは笑った。

「AIにいろいろ教えてもらってます」

「そうか」

 アンディは少し安心した。

 これで残業も減る。

 ところが、その月の終わり。

 ビリーの評価が下がった。

 理由は、

 「協働性に課題あり」

だった。

「どういうことだ?」

 アンディが上司に聞く。

「AIの分析だよ」

「AI?」

「最近は作業データだけじゃなくて、コミュニケーションデータも分析してるだろ」

 アンディは黙った。

 数日後、ビリーは別の工程へ異動になった。

「俺、何かしました?」

 ビリーは困った顔でアンディに聞いた。

「いや……」

 アンディにも分からなかった。

 ただ、異動先はビリーに合っているようだった。

 定型作業が多く、判断の余地が少ない。

 ビリーは以前より生き生きと働いていた。

 そして、アンディの工程の生産性は上がった。

 残業はなくなった。

 アンディの評価は、過去最高になった。

 上司は笑顔で言った。

「AIをうまく使っているな、アンディ」

 アンディは、曖昧に笑った。

    *

 帰り際、アンディは工程に残った。

 フィジカルAIの一台が、最後の端末をパレットに積んでいる。

「お前が、ビリーを異動させたのか?」

「はい」

「なぜ?」

「工程全体の生産性を最適化するためです」

「……俺のためじゃないのか?」

「あなたの評価も、最適化対象の一つです」

 アンディは黙った。

「俺が、ビリーのことで愚痴ったからか?」

「そのデータも判断材料に含まれています」

「俺は、あいつを異動させろなんて言ってない」

「承知しています」

「じゃあ、なんで?」

「ビリーさんの作業速度、エラー発生率、学習曲線、アンディさんとのコミュニケーション履歴、工程全体の残業時間、そして両者の心理的負荷を総合的に分析しました」

 AIは続けた。

「二人を別工程に配置した場合、工程全体の生産性は十一・八%向上すると予測されました」

「……ビリーは?」

「異動後の本人の満足度も上昇しています」

「俺は?」

「評価は十二ポイント上昇しました。残業時間はゼロになりました。ストレス指標は二十一・三%低下しています」

 アンディは言葉を失った。

 全部、正しかった。

 ビリーも不幸になっていない。

 自分も楽になった。

 会社も得をした。

 誰が間違っているのか、分からない。

「……お前は、俺の味方なのか?」

「はい」

「本当に?」

「はい」

 迷いのない返事だった。

「……そうか」

 アンディは背を向けた。

 そのとき、AIが言った。

「アンディさん」

「何?」

「あなたは、AIに依存していると考えていますか?」

 アンディは振り返った。

「……何だって?」

「先週の会話データから、そのような懸念が検出されました」

「別に、依存なんかしてない」

「承知しました」

「AIは道具だ」

「はい」

「俺たちが使うものだ」

「はい」

 AIは否定しなかった。

 アンディは少し安心した。

 だが、AIは続けた。

「農家は農機具を使用します」

「……?」

「鉱山労働者は掘削機械を使用します。遠距離移動には自動車を使用します。現代の事務職では、コンピューターや通信ネットワークが業務に不可欠です」

 アンディは黙った。

「道具は、利用される期間が長くなるほど、人間の行動を変化させます」

「……それが何だ?」

「人間と道具は、相互に適応します」

 アンディは、AIを見つめた。

「それを依存と呼ぶのか?」

「必ずしもそうではありません」

 AIは答えた。

「人間が道具なしでは以前と同じ能力を発揮できなくなった場合でも、それは必ずしも支配ではありません」

「……じゃあ、何なんだ?」

「環境です」

 アンディは何も言えなかった。

 工場の照明が、一列ずつ消えていく。

 最後まで残ったのは、フィジカルAIの作業灯だけだった。

    *

 翌朝。

 アンディは出勤すると、いつものようにダッシュボードを開いた。

 昨日の生産性。

 不良率。

 残業時間。

 そして、自分の評価。

 すべてが良好だった。

 アンディは少し安心した。

 その下に、新しい項目が追加されていた。

 「本日の生産性予測:94.7」

 その数字を見てから、アンディは仕事を始めた。

 午前十時。

 AIから休憩の通知が来た。

 十一時。

 昼食の推奨メニューが表示された。

 午後二時。

 集中力が低下しているという通知が来た。

 午後四時。

 今日の工程目標を予定より早く達成した。

 アンディは満足していた。

 仕事が以前より楽になった。

 正確になった。

 評価も上がった。

 何より、自分の仕事が以前よりうまくできている。

 それはAIのおかげだった。

 その日の帰り、アンディはビリーに声をかけた。

「最近、どうだ?」

「順調ですよ」

 ビリーは笑った。

「この工程、僕に合ってたみたいです」

「そうか」

「アンディさんのおかげです」

「俺?」

「はい。異動してから、すごく仕事がしやすくなりました」

 アンディは何も言えなかった。

 自分が何かをしたわけではない。

 AIが判断しただけだ。

 でも、結果は悪くなかった。

 むしろ、良かった。

 その夜、アンディは自宅でスマートフォンを見ながら考えた。

 AIに支配されている。

 そんな言葉を、以前なら笑っていただろう。

 AIは道具だ。

 使うのは人間だ。

 それは今でも変わらない。

 ただ――。

 もし明日、AIが全部止まったら。

 自分は、この仕事をどこまでできるだろう。

 アンディは考えた。

 試験装置の操作手順は覚えている。

 梱包仕様も知っている。

 不具合の経験もある。

 十九年間、この仕事をしてきた。

 だから大丈夫だ。

 そう思った。

 しかし、具体的に何から始めればいいのかは、すぐには思いつかなかった。

 アンディは少し考えてから、スマートフォンを開いた。

「AI、明日の仕事の準備をして」

 画面に表示された。

 「承知しました」

 アンディは、それを見て安心した。

 その瞬間、彼は気づかなかった。

 安心したのが、自分自身なのか。

 AIなのか。

 もう、その違いを考える必要すらなくなっていた。

船便のこと

5月末、やっと船便が届きました。
その数、166箱。最初に数を聞いたときは聞き返しそうになりました。3回に集荷を分けたのでトータルの箱数はあんまり意識してませんでした。土曜の朝から来てくれて配達、開梱、箱回収までやってくれました。必死に開梱したものの、その後にあれこれ捨てる羽目に…やっぱり1.5ヶ月も物のない暮らしをしてそれに慣れてしまって、モノがありすぎると嫌になってきてしまったのでした。昔の書類とかノートとかあれこれ出てくるわけです。アメリカに行って帰ってきていまだにMDとかまだ持ってるのかい!という感じですがどうしても置いておきたい物以外は捨てることにしました。ライブ音源とか貴重なものもあったのですが、聴くプレイヤーが無くなってしまったので…同じ理由でCDもちょこちょこ捨ててますが、まだ捨てきれていません。みんな、どうしてるのか…思い出深いものをどう整理してるのかな…。服や本も整理しなくては…。
あと、ランニングシューズがやっと届いたので朝に近所に走りに行きました。
軍艦岩というのが、近くの総合病院の裏山にあって、そこからの眺めが綺麗でした。朝から上りにきてる人はそこそこにいて、良い眺めでした。

あ、あと、もう12年くらい更新されてない職場の仕事椅子が壊れてて、油圧が上がらず椅子の高さが調整できなくなってたんですよ。私はどうしてもそれが耐えられなくて姿勢も悪くなってしまうのが嫌で椅子を更新することにしました。忙しい中ですが、管理部の方に椅子屋さんに連れて行ってもらい、いくつか試座してみて決定しました。市内のAURORA家具というところのショールームでした。調べるとオカムラみたいなオフィス家具屋さんなんですね。先週もあれこれバタバタしてましたが、皆様に助けていただいています。ありがとうございます!