【書評】人生後半の戦略書

読了。簡単な書評を書いておきます。
本書は人生後半をこれから迎える方、すでに迎えた方、どちらにもオススメできます。キャリアの岐路に立っているような人におすすめできるような本かと思います。
特にバリバリ仕事をしてきた人、仕事に情熱を持って取り組んできた人は一読の価値があるのではないかなと思います。
簡潔に言えば、流動性知能を生かした仕事から、結晶性知能を活かした仕事に飛び移るタイミングがある、なぜなら、流動性知能曲線は30-40歳で衰えていくのに対して、結晶性知能曲線は60-70歳まで伸び続けるから、という話です。
バリバリ仕事をしてきた人もある時点でこれまでと同じようには出来なくなっていき、キレも落ちていくわけですが、それは別段普通のことで誰にでも訪れるものであり、恐れずに受け入れることが肝要といった内容でした。
死の意味もしっかりと受け入れた上で、仕事や人生に取り組んでいくのが良いのではないか、という内容でした。

 

最近とみにそういうことを考える事が増えました。例えば、自分の最近のパフォーマンスを考えた時にフルスロットルで考えてアウトプットし続ける事が難しくなってきました。また、夜遅くに仕事を出来なくなりました。一定の睡眠が無ければわかりやすくアウトプットの質が落ちるようになりました。

思考のキレも朝の方がよく、夜の方が悪くなっていきます。おそらく、この傾向はどんどん酷くなっていくのではないか、ということが感じられるようになってきました。

自分の体力であったり、思考力であったり、俊敏性であったり、瞬発力であったり、持続力であったり。これらを維持し続けるのは難しいこと、というのは考えれば当たり前なのですが、そうした老いを薄らと認めなければならないのは切ないなと。だから、それを受け入れられない人が多数いるのもわかるなあと。自分も含めて、フィジカル面での衰えを前提とした、生き方や立ち振る舞いやありかたの変革が必要だなと思わされました。

The Power Law 上巻

The Power Law 上巻

この本はVC(ベンチャーキャピタル)に関して詳しく歴史的経緯を記載した非常に示唆に富む書籍です。

電子書籍で読了。

よく聴いているポッドキャスト、repeat rhyme で熱烈におすすめされている本でした。原書しか無かったのですが、2023年の9月に翻訳版が 出版され、電子版を買いました。なかなか読了するまでに時間を要してしまいました。

上巻ではシリコンバレーと呼ばれる地域がそのように呼ばれるようになった経緯の背景、即ち、VCの発祥からGoogleの上場に至る経緯までが描かれます。

元上司が駐在時に言っていましたが、「シリコンバレーで最も重要な構成要素は設計(技術)と投資である」という話を今一度思い出すような書籍でした。

Power lawというのは「べき乗則」のことですが、まさに指数関数的に成長していく技術、そしてそれを展開し成長していく企業、そこに投資する投資家たちの話が様々なケースとして紹介されています。

日本にいると、なかなか馴染みの無い企業の初期の話などもあり、非常に面白く読めました。(GoogleやYahoo、IntelAmazonは個別に書籍も出ているわけなので…)

色んなケースに登場する投資家だったり、起業家たちの振る舞いや言動が興味深く、投資に対する姿勢も大変に参考になります。

それにしても、日本の典型的な製造業に勤めている自分一個人としてはなかなかに考えさせられる内容だなと思うわけです。

 

今、日本では1月から新NISAが始まり、書店ではNISA指南の本が多数出てたり、ウェブ記事でもたくさん投資に関する記事が出ています。このような記事では投資は自己責任、としつつも、投資に対する心理的ハードルを下げよう、という声掛けがなされています。日本では個人も企業もお金は貯蓄するのが一般的。しかし、恐ろしく低金利の時代が長らく続き銀行に預金していてもお金は増えない時代が長く続いています。一方で海外ではコロナ禍に資金がガバガバと市中に出回ったこともあり、インフレが続いてきたこともあり、インフレ抑制のために金利が上がりベンチャー投資環境としてはイマイチな状態になっています。(一方で、貯金に意味が出てくるわけですが)

日本でも貯蓄から投資へ、と言われ続けてきて、ようやくその兆しが見えてきたのかなとも思います。(会社でもESOP制度が導入され、株式をいくらか分配されたりもしています。10年ほど持株会にも入ってきたわけですが…)

新興企業に投資したり買収したりするCVCという仕組みも日本の製造業では増えてきていますが、必ずしもこうした仕組みが全ての企業に導入されているわけでもなく、製造業では、スタートアップ投資=リスク高いからやらない、よくわからないからまだやらない、と捉える向きも多いわけです。

一方で、研究開発投資などで新規市場分野に向けて技術獲得しようとしてたりする話を聞くと、これはもはや、自社内に新しいスタートアップを立ち上げるのとそう変わらない話をしていたりするわけです。

どちらが良いか悪いかというよりも、どちらもフェーズによってうまく戦略的に使い分けることが重要だなと感じる次第です。自社内で研究開発から始めると確実性はある一方で、時間は掛かるし、結局お金も掛かるし、ヒトも必要になるわけで。

 

面白いなと思うのは米国でも過去には投資に対して非常に慎重な人たちがいてそれは主に東海岸の伝統的な金融企業や事業会社の人たちだった、というところでしょうか。それに対するカウンターとして西海岸のVCや起業家たちが現れてくるわけです。投資に対する姿勢というか、リスクに対する姿勢の違いが明確で、それもまた面白いですね。

東海岸の伝統的な企業はいくら待っても投資してくれず、何回も何回もoh by the way〜と書類を要求された、という逸話が出てきます。このあたり、まるで日本の伝統的な大企業(JTC)と同じ振る舞いで、必ずしも、米国企業だからといって、みんながみんなリスクを取るというわけでもないということがわかります。

一方で、後半にエンジェル投資家の話が出てきますがこちらでは持分比率の話もせずにペラっと10万ドルの小切手をサラッと切る投資家の登場が描かれます。(7年駐在してて後半は殆ど小切手を使う機会も無かったわけですが…お金持ちになると、小切手で切る金額も桁違いですね。)

普通の人には大金でも、多くの上場によるexitで裕福になる人たちが生まれるシリコンバレーではエンジェル投資家になるような財を形成する人が相当数いる、ということなんでしょうね。数十億円とか資産があれば、そんなことも可能なんでしょうかね…。

最近のこと

最近のこと

CESのためにラスベガスに行ってきた。その帰りの飛行機でこの日記を書いている。

 

年末年始に実家に帰り、父と会った。父はずいぶん、歳をとったように見えた。色々あり、夏に帰省がかなわず、まるまる一年ぶりだったが、もはや、何年会わなかったのか、というくらいの老け込みぶりだった。

同じ年頃の親戚にも何人にも会ったがその中でも1番老け込んでいた。

父はどうも腰が慢性的に痛く、元気が無く家に引き篭もり気味だという。どう受け止めていいのかわからない。思っていた老け具合よりも10年くらい早い。

 

思えば、私が小学校時代に転校していじめられて家に登校拒否しそうになった時に、父はとにかく厳しくひたすら私に「学校に行け」と言い続けたものだった。そんな頃のことを思い出す。私はイヤイヤ学校に行かざるを得なかった。逃げ場はあるようで無かった。だから、いじめられてはキレてケンカばかりの小学校生活だった。

今思うと、自分の娘が取っ組み合いの喧嘩をして帰ってきたら、相手の家の親に怒鳴り込みに行くか先生に苦情の手紙でも書くような気がするが、そんなことは殆どなかったことを考えると90年代は牧歌的というか、まだ、昭和だったんかなとも思う。

 

先生もクラスメートも本当のところは私のことをどのように理解してくれてる人がどれだけいたかわからない。

今思い出してもハッピーだったかというと微妙なところだ。勿論、母を早くに亡くした私が、ぱっと見、元気に毎日学校に通っていたのだからそれだけでも周りから見れば万々歳だったのかもしれない。私にとっては陰鬱な時代だった。

 

こんなことを同級生に言ったことはないが、気持ちが晴れやかになって、本当に楽しく学校生活を送れるようになったのはそんな小学校時代の私を知る人が結構減った高校生になってからだと思う。

掛け値無しに私と向き合ってくれる人が増えたからなのだと思うし、私もそんな自分の置かれている現状を受け止められるようになったのだと思う。

 

父には厳しいことを言うようだが、腰を早く治してほしいし、元気でいてほしいのだが、果たして目の前にすると、娘たちの手前、そんなことを言うことも憚られた。

 

大学に行き、社会人になって、地元企業を辞め、地元を遠く離れて仕事をして、アメリカに住まい、東京に戻って、そうこうしてる間に20年以上も経ってしまった。

 

地元はいつまでも私の地元だが、諸事情あり、実家にも泊まれずホテルに泊まらざるを得ない現状、もはや、帰る場所を失ったかのような気持ちになる。

 

20年ぶりだかに泊まった地元のホテルはコロナ禍で改装されて綺麗になっていて皮肉なことに泊まりやすかった。

 

「地元を離れた人間は帰る場所を自分で確保しておかなければそれはいつか無くなるのだ」というのは昔から思っていた。

 

だからこそ、定期的に地元に帰り、家族や親戚や友人たちと会ってきた。しかし、親しかった地元の友人たちとはコロナ禍を経て、会う機会が減り、それぞれの子供も大きくなり昔のように会いづらくなってしまった。年賀状を送っても全てが必ず返ってくるわけでもない。そう言えば喪中のハガキを3つももらった。そういう歳頃なのかもとも思う。

家族が増えれば、そうなってしまうものなのか、とも思う。いつまでもずっと友人同士の付き合いを続けられると思っていた私はもしかすると、ちょっと欲張りというか、傲慢なのかもしれない。全てを望んでも手に入れることはできない。

父は妻を失い、また、父母を失い、もはや、父には子どもたち、そして孫たちしかいない。そして、孫、つまり、私の娘たちは離れて暮らしているし、たまにしか会えない。

今の私に父に何ができるのだろうかと、そんなことをふと考える。

 

言い訳がましくなってしまうのだが、今の自分に出来ることはひどく限られている。実家にサポートに行ければとも思うがそんなに近くに住んでないし、やはり住んでる人でないとできないことが山ほどある。それは大学卒業後、過去15年以上、自分がやってきたことでもある。住んでない人が口出しすべきことではないことがたくさんある。住んでる人のプライドを大事にしながら、遠方まで数万円掛けて帰って色々片付けたり掃除したり出来るほど、私は人間が完成していないようだ。

 

自分とその家族の生活を守ることが今の自分にできる精一杯のこととも思う。果たして、母を亡くした父もそんな気持ちだったのだろうか。

 

 

最近、様々な人の訃報に接することが増えてきた。

駐在時代の妻の友人の旦那さんが亡くなられたという話を聞いた時には言葉に詰まった。同世代だったし、腸が悪かったという。他人事とは思えなかった。

 

駐在時代の同僚の奥さんも癌で亡くなった。同僚は病気が判明した時から、子育てと仕事の日々をシングルファザーとして精一杯頑張っている。ふと、電話したりすると、そんな苦労が伝わってくる。

 

帰任してから間も無くして、私をマーケティング部署に配置した役員さんが亡くなった。まだ若かった。マーケティングがその方のやりたかったことだからこそ、自分は今の部署でその想いを大事にしたいと思って仕事に取り組んでいる。

 

自分もこないだ腸の検査でポリープが見つかった時に、本当にハラハラした。そもそも、大学時代に思い立ってピロリ菌除菌をしなければ、今ごろ私は胃がんで亡くなっていただろうと思う。

 

果たして、私は長生きできるのか?

妻と子どもたちとの幸せな家庭を守っていけるのか?子どもたちは元気に大きくなっていくのか?成長した先に元気に息災に生きていけるのか?

時折、そんなことを考えて怖くなる。

 

今年は新年から、背筋が凍るような地震や事故が相次ぐ。世界を見渡せば戦争もある。アメリカにいた時も、もちろん近場で銃撃事件なんてのも起こっていたわけで、決して自分がそうした様々な危険に無縁だったわけではないのだろう。

 

たぶん、たまたま私はこれまでは運が良かったのだと思う。飛行機事故などを見ると本当にそう思う。

 

そういえば、本厄だということで、厄払いしてきた。信心深いわけではない。困った時の神頼みすらしなくなって久しい。

そもそも駐在期間中、初詣できる霊験あらたかな神社仏閣はカリフォルニアには殆ど無くて初詣も随分欠かしてしまった。

本当に、気持ちの問題で厄払いをしてきたのだが、まあ、確かに自分の気持ちとして、なんらかの意味はあるのだろう。

日本人の宗教観というのは本当に自分に都合が良いなと思う。ある時はクリスマス、ある時は節分、ある時は寺でお参りするし、神社に参拝する。

様々な点で人生のターニングポイントなのかもしれず、気を引き締めていこうと思う。

大腸内視鏡

夏に受診した人間ドックで便潜血があったとのことで、大腸内視鏡で要精密検査と相成りました。
大腸内視鏡というのは未経験です。
今年の人間ドックは久しぶりに胃カメラも受けたのですが、なんとも慌ただしいことになってしまいました。
私は14歳の頃、胃潰瘍になっていて、大学卒業する前に8年苦しんだピロリ菌除菌したおかげで胃潰瘍や十二指腸潰瘍からは解放されていました。
ピロリ菌が胃がんの原因になり得ると言うことがもっと早くに分かっていたら…と思わざるを得ないくらいには近親者を胃がんなどの消化器系のガンで亡くしてきただけに、自分は長生きしなければと思うことは多々あるわけです。

大腸内視鏡というのはあまり経験が無かったこともあり、気乗りしなかったのですが、発見され辛い割に死亡者数が年々増えている…と言う記事

http://www.osaka-ganjun.jp/health/cancer/colorectal.html

を読むにつけ、自分も米国暮らしが長かったこともあり、気を付けないとなあと思い、真面目に検査を受けることにしました。

近隣で内視鏡検査を専門にしている内科を見つけたのでそこを予約しました。ウェブ問診や予約も充実しておりノンストレスで予約できて、事前の問診を受けて大腸内視鏡の予約をしました。
前の日には検査食を食べるという手順になっており前の日からすでにお粥生活が始まるわけですが、前日夜は軽い下剤を飲んで寝ます。
そして検査当日も朝から延々と経口腸管洗浄液、モビプレップというのを2リットルも回数を分けて飲みます。
これがまたそんなには美味しくはない液体をひたすら飲むことになりなかなか辛いものがありました。
が、これをきちんとやってるかどうかで大腸内視鏡検査時の画像が全く異なってくるとのことでしたので、必死に頑張りました。
食事中の人には申し訳ない話ですが、まあ、トイレに何度も行くことになりました。
その後、夕方近くに病院へ移動し、大腸内視鏡検査となりました。今回は内視鏡専門内科で受けたこともあり、かなり手順もテキパキと進みました。
始まるまでがやや待ちましたが始まって仕舞えば割とスピーディーだったような。鎮静剤を打ったのでその辺りも記憶曖昧ですけども。

検査と同時にもしポリープがあれば切除も行う手筈で詳しくは以下にポリープ切除の記事がありますが、結論から言えばポリープが3箇所ありました。
1箇所は12cmほどの大きさだったとのことで、薬剤を使う特殊な切除の方法で切除したとのことでした。

https://itami-endoscopeclinic.com/日帰り大腸ポリープ切除について

ちょっとサイズに驚きました。
結果として翌日以降も1週間、質素な食事で過ごすことになりましてなかなかダイエットには良いのかなあという状況になっています。

ついこないだには風邪もひいて3日間お粥生活していたせいか、あんまりお粥生活は抵抗も無く、痩せたのを機会にしてご飯の量を減らして、また、間食もやめました。
すると、体重が増えない。逆に言えばなかなか体重が落ちなかったのは間食やご飯の量の問題だったことがよくわかりました。

歳をとると、そんなにたくさんは食べなくてもよくなる、ということをここまで如実に感じるとは思いもしませんでした。もう若くないんだなあと思わざるを得ませんでした。
皆様もくれぐれも健康にはお気をつけて。

転職の魔王様と採用活動

 

2023夏ドラマとして始まり2話目まで観ました。なかなか面白い。

どこに面白さがあるのか?

今期はVIVANTが予算も脚本も出演者も圧倒的なナンバーワンなのですが、他のドラマも結構おもしろいのでは?

 

転職経験があると、それはそうだよねーとなるようなエピソードが目白押しです。

 

1話では主人公の女性と転職アドバイザーが出会う回でした。重要なメッセージとしては、自分の生殺与奪の権利を人に奪わせるな、ということになるんでしょうか。やりたいことを自分で主張して、自分のためにキャリアを積んでいいんですよ、という話になっています。

 

2話目では求職者がやはり自分のやりたいことを整理せずにズルズルと元カレに縛られている状態から解放するという展開でした。

どちらの回も1人の求職者に時間をかけすぎてる気はしますね笑。

あと、転職面接の場面が全然出てこないのもちょいと残念。

 

なぜ、このドラマを取り上げるかと言えば、今まさに採用をしてるからなんですね。転職の魔王様を見ていると自分の過去の転職と今の採用の両方を思い出します。

 

 

◽️採用活動

40年くらい生きてきて人生で初めて採用活動に臨んでいます。過去記事でも記載の通り、転職はしたことあるんですけども。

誰にでも初めてはあるとは思うんですけど、会社によっては課長になるのが30代や20代後半だったりするととっくの昔に通過した儀礼かもしれませんね。

採用側の視点に立つと、求職者のことやレジュメのこと、面接での立ち振る舞いなど色々とこれまで見えなかったことがわかります。

なぜ、これを聞くのか?とか、なぜこう答えるのか?とか様々なことが想像出来てきます。中には答えの無い問いを投げかける時もあります。

 

 

採用活動というのは自分のチームを強化するために行うわけですが、チームをどうすれば強化できるのか?

その手段は無数にあり、何を行なっても改善しないか、時間がかかる、または欠員補充など様々な理由でおこなわれます。

今回の理由はあえて書きませんが、採用活動を通じて見えてくるものがたくさんあります。

 

◽️採用する側の視点

採用する側からすると、求職者が「自身の見せ方」を考えてない話し方をされたりすると正直、困ってしまいます。

「この求職者は自己客観視が出来ているか?」という点を思わず問うてしまいそうになります。

それくらい、一言一句、質問への回答や自己アピールは重要で、何気ない一言で不採用とすることも多いです。

 

まさに応募者の方の自分語りが始まり、熱烈な話でどこに着地させたいのか、わからないという面談もありました。面接の受け方を冷静にアドバイスしてあげたくなりましたが、私はその人のキャリアアドバイザーではないですし、そのための面接ではないのでやめました。

 

特に私が活動している領域がマーケティングで、言葉をきちんと戦略的に注意深く操る必要がある業務だからこそ、とも言えるのでしょうけども。

また、熱意が感じられなければ、厳しいなと感じます。ただ、暑苦しさもまた個人的には自分や自部署とのマッチという意味でNGで、この辺りの匙加減は会社や職場によって異なりそうです。

求職者が自分を偽って入社してきてもお互いに何も良いことは無いので、自然体でかまわないわけですが、初対面にも関わらず、自然体でお互いが気持ちよく話ができる距離感をうまく作れる人、というのは結構貴重なのだろうなと思います。

短い時間でそれらをやり切るのは難しいのですが、コミュニケーション能力ということになりますか。

 

また、募集時の文言にある程度、合致するからこそ応募してきて欲しいなあとは特に感じます。

つまり、スキルフィットとカルチャーフィットということになります。

採用側の思惑としては貴重な採用枠なので失敗したくない、という気持ちがどうしてもあります。

一方で、求職者側も仕事をぽんぽん変えられないので転職には常に慎重にはなります。(そうであってほしい)

また、スキルフィットやカルチャーフィットに目を瞑って応募してこられると、結構、不幸な面談となったりもします。

 

◻️応募側の視点

勿論応募側からすると、複数社受けるのが普通でしょう。真面目にキャリアを考えている、なおかつ優秀な人ほど複数社受けることがあるでしょう。また、現職である程度満足している人は基本は転職市場には出てこないわけです。そうした人を引き摺り出すのは相当難しい。

たまたまその人のライフキャリアプランの中で、自社の自部署を受けてくれるご縁が出来た、そんな人を採用できれば、と強く思うわけですが、先ほど挙げた自分たちのやりたいこと、採りたい人とのバランスをうまく取らなくてはならず、採用というのは大変難しいなと感じます。

 

自分が見ている軸をいくつか。

履歴書を見ながら気になったことを質問していくスタイルです。

相手のキャリアの変化点での行動の理由や背景から以下のことを浮かび上がらせようとしています。

・失敗したことがあるか。

・失敗した上でそれをリカバリーしたことがあるか。

・自分が仕掛けてきた企画でこれは当たったと思った企画を教えて。

・あなたにとってマーケティングとは何ですか?

・自分が仕事をする上で気を付けてきたことを教えて。

・運があるか。(たとえ不運なことが起きても自分は運が良い方だと前向きに転じることができるか。)

・謙虚さと可愛げがあるかどうか。

・エネルギーがあるかどうか。

・地頭が良いかどうか。

・好奇心があるかどうか。

 

相手のことは一定分かった上で、判断しています。今のところ数ヶ月経ってまだうまくいっていませんが、しっかりと時間と情熱を割いてなんとか、良い人材を採用出来ればと思います。

 

 

AIが変えるマーケティングとデスクトップリサーチ

生成系AIのChatGPTが登場し、一般的になって以降、マーケティングとデスクトップリサーチは大きく変化しつつある。今後はこの分野では、より戦略を考えるようなビジネスの核心に迫る部分が残っていくのだと思う。

まだ、ChatGPT3.5のレベルではそこまで大きなインパクトがない部分もあるにはある。

土方的な作業もまだ残るが、相当、AIで置き換えが可能そうだ。

非常に簡単な作業は既に置き換えが起こりつつあるといえる。

 

ChatGPTを使ってみて衝撃を受けた、という人の反応は正しいと思う。

私もマーケティングの世界に少しだけ足を踏み入れた人間として、このAIが何をどう変えるのかは日々ニュースで見聞きするレベルだけでも数えきれない程の情報が溢れている。

インターネットとスマートフォンの発達によって、世界には情報が溢れている、検索が困難になる、と言われてきて久しかったのに、さらにAIによって生成された情報が溢れるわけでこの流れが最後にどこに行き着くのかを考えると気が遠くなる。少なくとも、文系総合職と言われる人たちの仕事は徐々に収斂されていくことが予測できる。「データやAIを駆使した営業やマーケティングというのは「口で言うのは簡単だが、実現は難しい」と言うのがこれまでの下馬評だったわけだが、ChatGPTやMicrosoft Copilotが本格実装されるとこれは夢物語ではなくなる。マクロが不要になり、エクセルでデータを分析することが簡単になり、パッとみただけの数値の分析は出てくるだろう。パワーポイントはあっという間に作ることができる。最適な表現が思い浮かばなくてもWordであっという間に画面遷移なしに文章の推敲ができる未来がすぐそこまで来ている。この破壊力は想像を絶する。GPUを主業とするNVIDIAの株価は昨年の最安値比較で70%ほども上がっているが、ここまでの展開を予想していたわけではなかったということだろう。

Chat自体は誰でも使える自然言語だし、そこから出てくるアウトプットは既に情報入手のみであれば、検索を大きく越えそうだ。もちろん使っていて、思うのは内容の真偽を確かめるために検索もまだ必要だと言うことだが。ChatGPTをうまく使えない、というのは流石に恥ずかしい。自然言語で行うChatでアウトプットが容易に得られるので、これができない、というのはもはやパソコンに文字を打ち込むことができない、と言っているのに等しい。(意外とそういう人が多いのもまた、事実だが)

「質問する力が重要になる」、といろんな人が言っているのは半分正しくて、半分間違っている。生成系AIがここまで普及してくると、質問する力、というか、自然言語プログラミング言語のように操る力が必要不可欠になる。つまり論理的に自分の課題や欲しい答えを文章で構成する力である。論理性、語学力、ということになる。

「Garbage in, Garbage out」とはよく言われるが、正しいInputを入れなければ、欲しいOutputは出てこない。検索でもそれは同じだが、検索以上に言葉をきちんと順序よく、並べて質問ができないと、欲しい回答が得られない。また、英語によるInputの方が質の高いOutputを得られることを考えれば、英語は必要不可欠なスキルということになる。いちいち、質問文や回答文をGoogle翻訳やDeepLで翻訳するのも良いのだが、一足飛びに質問できる人の方がスピードが早いので累積での差が激しくなる一方だ。AIの発達で英語や会計の力は不要になる、と言われるが、英語を読み書きできる人材や会計に詳しい人材、プログラミングに関する人材は今後も中長期で価値が高いままだろう。

大規模言語モデルのようにスケールしたAIと競争してしまうとどうやったって人に勝ち目はないので、AIに代替されづらいスキルを身につけるか、AIを駆使して人よりも多くのアウトプットを出すことに集中した方が良さそうだ。

さて、実際にChatGPTを使ってみた、という記事は山ほどあるが、自分でもいろんな方向で試してみた。会社は幸運なことに、ChatGPT自体の利用を禁止にはしなかった。

プロンプトの紹介はここではしないが、マーケットリサーチには一定程度無料版でも使える。一方で、ガイドラインをしっかりとチームで定めておくことも重要そうだ。有料プランなどで情報の秘匿性が高まらないうちは、無料版利用時は会社の名前や人名はチャット欄には入れないほうが賢明だ。サムスンなどの会社でも問題になっている。

また、どちらかというと、学術系の調査などには向いていると感じる。例えば、学術的な基本知識、基礎知識的な質問をぶつけて、表にする、というのは非常に有用だろう。特に既に存在する自社にとっての新市場や新技術、新アプリケーションについて一般的な内容をさっと知りたい時、まとめたい時は非常に有用だろう。一方で、全く存在しない新しい市場やアプリケーションについて調べる際には注意が必要だろう。また、優劣比較、3C分析、4C分析、4P分析などにも有用だ。日本語だと一度にアウトプットできる文字数が足らなくなるが、英語ならSWOT分析あたりも有用だろう。もちろん、自分の会社の課題をあまり事細かに書いてしまうと、情報秘匿性の問題があるため、言い換え、書き換えが重要になる。そのままは入力すべきではないだろう。現段階の無料版で議事録作成をさせるのはもってのほかである。

この「表にする」、という機能はとにかく有用で、さまざまな課題を挙げておいて、表にしたり、要素を抽出したりするのにも大変便利だ。こうした機能を駆使すれば、デスクトップリサーチで死ぬほど時間がかかっていた人も多少これで時間を短縮することができそうだ。壁打ち役になってもらうのにもちょうど良い。昨年何度か深夜勤務でデスクトップリサーチしていたが、もし、昨年にもChatGPTがあれば、アウトプットの質も量も大きく変わっていただろう。

一方で、こうしたツールにアウトプットが左右される可能性もある。「重要な単語を事前にどれだけ質問文であるインプットに散りばめられるか」が、アウトプットの質そのものにも直接的に影響する。下手にChatGPTに固執すると、アウトプットの質は一定以上高まらない。随時不明な単語は検索を行い、セレンディピティ的な情報の収集も一定はまだ必要だろう。

 

昨年、取り組んでいる調査でたまたま知った情報が特許取得に繋がる着想に至った経験をした。1年くらいの調査の中でも視点や力点の置き方次第ではそうした着想にも至る。そのため、一見無駄に思える検索作業やバックグラウンド調査もまた必要不可欠なのだろう。また、自社の製品に向いているソリューションや技術がどういうものか、と言った一般的な質問も同じく手控えるべき質問なのだろう。よほど汎用的な商材でない限り。

また、キャッチコピーなどの検討でも様々な要素を考えさせて複数の候補を挙げさせるなども有用だろう。

 

 

 

伝播

When I was asked on last Dec that I would be assigned field marketing section manager in Japan from January, I was surprised that my major responsibility and task would be changed drastically from sales to marketing after 7 years dispatch to the US as global sales, since my only experience was sales even though the section name was sales and marketing.
This is great challenge and big effort for me to try establishing a new team and new KGI/KPI/CSF for field marketing which our entire organization have never challenged. To be honest, I’m still on the way to climb the high mountain that no one try ever, and it is not easy at all to complete them. 
Breaking the wall, barrier, or something we never think to break it, it is really challenging to do it sometimes. 

And I found out that my marketing knowledge was not enough and still I need to learn a lot. I thought that I am good at doing it, but my focus was quite limited for investigation and research based on sales activities for existing customers, market and applications.
In January, so I bought and read book which was written about BtoB digital marketing. 
I have already read “The model” which is written about the clear assignment of the sales and marketing and inside sales and filed sales. Also. I read the book about inside sales and the book about KPI management. 
Of course, as you can imagine, the actual real organization and task, company culture are not the same as the book, and it is necessary to modify a lot depending on the situation and theme. 
Also the marketing department  implemented the course of Growth X’s service which we can learn the marketing including digital marketing from zero knowledge on App. It is also big help for me and my team to learn marketing in nowadays, even the course is quite long course. Every team member will know the progress of everyone’s course even manager or general manager. This is quite challenging system for management side, too.

BTW, one upper management person passed away a few months ago due to illness unfortunately. May he rest in peace. That was sad news for everyone. 
One of his vision was to separate the functions, roles, and responsibilities of sales and marketing. (And also establishes the digital marketing too.)

I had the impression that he was always calm and business first.
However, after his illness became apparent to employees, I was struck by his inner passion as I watched him face his work while continuing treatment for his illness.

I was not able to discuss a lot with him about his vision. I regret that. I may still be far from the speed, quality, and finish he wanted, but I will continue to try somehow.

Of course, health is the most important apparently. Living a healthy life, having goals and objectives outside of work, and taking care of one's family enriches one's life. 
On the other hand, sometimes, the term "work-life balance" is used, but work and life cannot be clearly separated.
Work can enrich life, and life without work can be very boring.
When you face the completely new things on your job, actually you need to learn and teach and make it own skill in parallel. So to be honest, it is really difficult for me to finish the work in the fixed working time recently. It is not so healthy and I’m so sorry for my family but once I can accommodate skill and team for those new tasks, then it would be possible to make own way to do it.

By the way, I know that if I post this kind of topic in English, not so many people will not read, but it’s ok for this time. I just wanted to write down my thoughts as of now.