この日記は数日前にラスベガスからの帰りの飛行機で書いたものです。
年末年始に地元香川県に帰省した。
ここ5年ほどは地元に帰省するとは言っても、自分の家に入っていなかった。やっとこさ帰省できた2022年、父親や妹は私たち家族が実家には泊まれないという話をした。とても悲しかったが、致し方ないと理解してきた。余裕が無いのだと言い聞かせてきた。住んでない人間にあれこれ注文をつける権利も無いと思ってきた。
しかし、自分が生まれ育った実家に帰れないのに、香川には帰省する、というのは少々つらい話で、結局、地元に帰り親戚と会い、父親と妹は食事をするに留め、ホテルで宿泊して東京に戻る、ということを繰り返してきた。
そんな状況でも、娘たちは自分たちの祖父や叔母に会えることを楽しみにしてくれていた。
今年の年末も2日だけだが、地元に帰ることにしていた。
しかし、結論から言えば私たちの娘たちは祖父に会うことはできなかった。
滞在2日目の夜に食事をするべく焼肉屋で待っていたが、妹から父がお風呂から出られないと連絡があった。妻と娘たちには待っててもらいながら、私だけ慌てて家に戻った。駐在やコロナの影響もあったから、5年ぶりの自分の実家だったが、すっかり荒れていた。庭木は生え放題で大変なことになっていた。部屋も長い間、掃除されてないことがはっきりわかった。
確かにこれでは、自分たちが泊まるのは難しい。
自分の実家はそういう感じ…というのはそれこそ、15年以上前、からわかっていた。掃除や片付けができないのだ。する気が無い。生活をきれいに保つ気が無い。誰も訪ねてこないから尚更だろう。人目を気にする必要が無いと人は掃除をしなくなる。家をきれいに保つのに、適度に人を呼ぶことは結構重要なことなのだ。そうした環境に長くいると、人の心は荒む。気力も湧かなくなる。それは留年した時の自分がそうなりそうだったからわかる。いかに酷い生活でも、どうでもよくなるのだ。
親戚も駆けつけてくれてなんとか風呂から助け出したが、風呂で寝ていたという。そして、体に踏ん張りが効かなくて、身体が浮かんでしまって風呂から出られなくなったと言う。すっかり痩せてしまった父。ヒゲも伸び放題で別人のようになっていた。これでは確かに食事には来られないだろう。そこで、なんとかタオルにくるまってもらって座敷まで運び、布団に寝かせた。すっと立てないほどに足が、お尻が痩せてしまっていた。なんとも、居た堪れない姿だ。寒くて震えてる、声も震えて歯がガチガチしていた。そして、弱気なことを言う。これは息子としてはなんとも言えないものだった。父親が元気な時には憎まれ口の一つも言っていたわけですが、そんなことを言う気も起きない。
私たちに会うためか、新しい服も買ってあったようでそれを急いで着せた。悲しいくらいに細くなっていた。父はあくまで私には虚勢を張りたかったのだとは思うのだが、もはやそんなことは言っていられるレベルではなくなったのだと思う。
部屋のにおいが祖母が寝たきりになっていた時に似ていた。そもそも、祖父母が寝床にしていたところを父も寝床にしていたわけだが、あまり良いことではないなあと感じていた。私はあの部屋にはあまり良い思い出が無い。祖父母が元気な時、つまり私が小さい時は私も一緒に寝泊まりしたこともある寝床だが、祖母が寝たきりになって自宅介護していた場所でもあり、祖父が肩が痛くて肩を揉んでくれと言われて小一時間も毎日揉んでいた場所でもある。はっきり言えば、良い思い出よりも辛い思い出が多い。
そんな父に掛ける言葉がなかなか難しい。父は「もう、後のことは頼んだ、お前の妻や娘たちには申し訳なかった」と言うのだが、人間はそんなに簡単に死ねないし、身体の調子が悪いままで生きる方が辛くて苦しい。出来る限りの間、健康なまま生きて生きて、生き抜いて力尽きて亡くなるのであればわかるが、無為な時間をただひたすら過ごして心貧しく生きて、死を予感しながら生きるのは果たして幸せと言えるだろうか。本人は腰が痛いとか足が痛いとか歩けないとか言うわけだが、一つ一つでもやれることをやって暮らしていくしか無いし、歩けるようになるためにできることをやるしかない。病気になれば、病院に行けば良いし、それだけの医療を受けられるだけの皆保険制度が日本にはある。が、本人にその気が無い。ただ、結局、その無為な時間の介護を妹がすることになる。
自宅介護は辛い。本人と介護者の両方の尊厳に関わる。疲弊する。共倒れになる可能性も高い。出来るなら介護者は近親でない方が良い。そして、介護保険制度も日本は充実している。介護認定は通常厳しい判定になるし、老人ホームの待ち時間は長いから、出来るだけ早めに申請するのに越したことはない。
年末年始になると、亡くなるお年寄りが増える、と言う話をよく見るが、お餅が一つの原因だと思っていたが、そのほかにも、お風呂に入り出た時のヒートショックが原因なのでは?という気がする。父も風呂の湯船に浸かった後、意識を失っていたようで、3時間もそのままだったという。うちの実家のお風呂には追い焚き機能や温度調整機能は無いのでひたすら冷たくなる湯船の中で寝ていたというのだ。危うく死ぬところだったのではないか、と思うと背筋が冷たくなる。
私にとって、父は常に頼りになる、大きな存在だった。私たち家族は母を早くに病気で亡くして父方の祖父母宅で暮らしてきたわけで、私の中では祖父もまた育ての親ではあるが、もちろん、父がいたからこそ、今の自分がある。人格形成に大きな影響があったと思う。
そんな父が苦しんでいるのだが、自分にできることがあまり無いことが苦しい。自分は遠くに暮らしているし自分の家族もあるし、妻を守り、娘たちを大きくしていく責任がある。ただ、それも言い訳なんじゃないか、という内なる声も出てきたりと、非常にもやもやする。このもやもやは日記に書けないようなことまで含めてずーっともやもやしている。
父は「わしはお前たちを育ててもうつとめを果たした(天寿を全うした)」といったことを言ったり、近所に住んでいた仲良くしていた友人が火事で亡くなったことによって気が滅入ってしまったという話をしきりにしていた。(これは実際にそういうことが昨年頭にあった)
私は、介護のことも考えなくてはならないのではないか?と切り出したが、父はそんなお金があるか!と言っていた。が、介護自体はそんなにお金がかからない。今後きちんと説得していかなくてはならないのだろう。いや、自分の息子からそんなことを言われたくはないのだとは思うけども。
妻と娘たちを迎えに行かなくてはならず、家を後にした。心苦しいながらも妹や親戚に頼るしかなかった。果たして、これからどうすべきなのか。再度、実家には戻り父を説得して手続きだけでもせねばならないだろう。まずはこまめに電話をしていくしかないのだろうか。