祭囃子が聞こえる

地元の秋祭りに帰省していました。

うちの地元の秋祭りは太鼓台と呼ばれる山車の一種を地域の青年男子で寄ってたかって担いだり、車輪を付けて町内を練り歩いたりします。毎年10月の体育の日の連休の土日に開催されます。地元の神社があって、そこの例大祭という事になるんですよね。うちの神社もここしばらくの老朽化に耐えかねて、地域の名士が大金を寄贈して、美しく建て替えられました。参道から鳥居からお社、全てがリニューアルされるとあって数年前の例大祭はとても盛り上がったとか。

私は昨年は自分の身辺が大きく変動があったため(ようは独身に戻ったゴタゴタがあったのですが)、お祭りには帰省しませんでした。というか、もう7年も8年もお祭りで帰省したりはしませんでした。旅費もかかりますしねえ。
今年は定年した親がその秋祭りの親方というか、大将というか、総代というものを務めるということで、どうしても私にも帰省してもらいたかったようでして、電話口の父親は例年にも増して、きつく私に帰省するように迫ってきました。しまいには、勘当されかねない勢いに、ようやく私は折れて地元に帰ることに決めました。
仕事は仕事で九月はドタバタ、十月最初からも、精神的に落ち着かない日々が続いてきたこともあって、少し疲れていたのですが、その辺りは全く考慮してもらえない辺りは仕方のないところなのでしょうかね。

さて、このいわゆる山車を使った秋祭りというのはひどく人手を必要とします。車輪を付けて町を練り歩く時でも町道や県道を練り歩くために、警察に届け出を出さなくてはなりませんし、交通整理係を付けて、常に事故の無いように細心の注意を払わなくてはなりません。地域の若人やおじさま方は皆さんで寄り合いながらその諸々を決めて当日を迎えるわけです。「ちょうさ」とうちの地域ではその太鼓台のことを呼ぶのですが、その周りには沢山の(昔と比べれば少なくなりましたが)児童たちも寄ってきますから、その児童たちにも万一のことがあってはいけません。
そして、宵祭りと本祭りの二日間にわたって開催される秋祭りの最大のハイライトは二日目の本祭りなわけですが、本祭りではずーっと車輪で引きずってきた太鼓台をみんなで持ち上げるわけです。太鼓台には持ち上げるための「かき棒」も備わっています。「かく」というのは方言でして、「担ぐ」くらいに思っていただければよいかと思います。「かく」棒なので、「かき棒」。なんせ、高さ4.5m、棒の長さで7〜8mにも達する太鼓台を担ごうというのですから、これはなかなかそう簡単な話ではありません。太鼓台には大きな刺繍の施された「布団」やら何やらが付いていて、そう簡単には持ち上がりません。こんな巨大構造物をなぜ持ち上げたりするのか、古今東西のお祭り文化の変遷や発祥が気になりますが、こういう太鼓台の文化は瀬戸内海近縁では割合見られる風習のようでして、その風習は物心ついた時には実家に根付く文化だった、と。
そんな伝統あるお祭りに巻き込まれ…いや、参加させてもらったわけです。
本当は同い年くらいの友人たちは既に若人たちの集まりを組織していて、その彼らの頑張りがあるからこそ、私みたいな外で仕事してる人間がひょろっと帰っても混ぜてもらえて、一緒に参加させてもらえるわけで、いわば、私はそんな彼らの下準備のフリーライダーなわけです。頑張ってきた彼らの苦労の大半を知らずに、いけしゃあしゃあと盛り上がれるわけはなく、隅っこの方で担がせていただく、あたりが外様の私には慎ましやかな参加の心意気かなあ、と思ってお祭りに参加しました。

そんな同年代の若人たちが考えた運行計画は昔に比べてややハードになっていて、本祭りの開催時間が7時間くらい追加されていて、本当にヘトヘトになりました。ライトアップされると、この太鼓台たちはきわめて美しく、こういうのを好きな人にはたまらない絵面になります。が、他所から来た人にはピンとこないかもしれません。お祭りというのはやはり地域の結束を確かめるためにあるようなものでして、流れ者のような私がふらっと参加させてもらうのは心苦しいなあ、と思わざるを得ないのですが、私を知る数少ない近所のおばさまがたは私のことを未だにちゃん付けで呼んでくださりますし、数少ない同級生たちは子どもと奥様を連れてきていましたし、少なからず言葉を交わすわけです。みんな、元気そうだけど着実に時間の流れを感じずにはいられませんでした。みんな、老けたなー。

子どもの数は確実に減っているし、転出数の方が転入数よりも勝ってるわけだから、地域の構成年齢は日々確実に上がっていくわけです。そんな地域の伝統行事が毎年きちんと開催されていることは喜ばしいことではあるものの、なんだか、この形でどこまで開催出来るのか心配にもなりました。昔は地域の若者たちで簡単に持ち上がった太鼓台は段々自分たちの地域だけでは持ち上がらなくなってくるわけです。隣の地域から助っ人が来て、一緒に持ち上げてなんとか持ち上がるといったところ。昔は担ぎ上げた後、お社の周りを三回回っていたものですが、少なくなった人数ではそんな芸当は出来るわけもなく。お祭りの伝統形式は地域の人たちの体力の衰えによって形を変えざるを得ないわけです。神事だから、本当はそれはよろしくないのでしょうけど、背に腹はかえられません。この有様を目の当たりにして、これまでの数年間足が遠のいていたことをかなり後悔してしまいました。本当にこれでよかったのか?と。

同級生と酒を飲みながら近況報告し合っていると、「kikiも帰ってきて仕事見つけなよー」とか言われるわけです。まー、そんな同級生たちと実家に居てどれくらい遊ぶかは不明ですけど、それでも、みんなの言わんとしてることもわかる気はします。リアルに衰退していく地域を目の当たりにし続けるのは本当はそれはそれできついことなのだろうな、と。

「kikiは今どこにいるん?」「横浜ー」と答えると、関東の人はピンとこないかもしれませんが、うちの実家近辺の人たちは遠い異国のことのようにその情景を思い浮かべます。でもね、そんなことないのよ、同じ手取りなら、地元で暮らしてる方が遥かに裕福な暮らしが出来るし、満ち足りてるものも多いのよ。同時に二つのものは手に入らないのよね、きっと。

本当はそうなのよ、でも、私は私で今みたいな仕事を地元で探すことの難しさも知ってるし、そういったことを考えると、今の暮らしを続けていくしかないのかなあ、とも思うわけです。

同級生同士で結婚した同級生たちとその子どもたちを見ながら、私はそんなことをぼんやりと考えてビールを飲み干したのでした。

たまには帰ってくるのもいいでしょう?と近所のおばさんは私にうどんをよそってくれる。見ない間に男前になってー!っと言われると悪い気はしない。でも、奥さんは?って聞かれるとちょっと胸が痛くなって…苦笑いして軽く経緯を話して…。

そんな昼下がり。祭囃子ならぬ、太鼓の音が秋晴れの空に響いていました。来年はちゃんと帰ろうかな。