最近のこと

最近のこと

CESのためにラスベガスに行ってきた。その帰りの飛行機でこの日記を書いている。

 

年末年始に実家に帰り、父と会った。父はずいぶん、歳をとったように見えた。色々あり、夏に帰省がかなわず、まるまる一年ぶりだったが、もはや、何年会わなかったのか、というくらいの老け込みぶりだった。

同じ年頃の親戚にも何人にも会ったがその中でも1番老け込んでいた。

父はどうも腰が慢性的に痛く、元気が無く家に引き篭もり気味だという。どう受け止めていいのかわからない。思っていた老け具合よりも10年くらい早い。

 

思えば、私が小学校時代に転校していじめられて家に登校拒否しそうになった時に、父はとにかく厳しくひたすら私に「学校に行け」と言い続けたものだった。そんな頃のことを思い出す。私はイヤイヤ学校に行かざるを得なかった。逃げ場はあるようで無かった。だから、いじめられてはキレてケンカばかりの小学校生活だった。

今思うと、自分の娘が取っ組み合いの喧嘩をして帰ってきたら、相手の家の親に怒鳴り込みに行くか先生に苦情の手紙でも書くような気がするが、そんなことは殆どなかったことを考えると90年代は牧歌的というか、まだ、昭和だったんかなとも思う。

 

先生もクラスメートも本当のところは私のことをどのように理解してくれてる人がどれだけいたかわからない。

今思い出してもハッピーだったかというと微妙なところだ。勿論、母を早くに亡くした私が、ぱっと見、元気に毎日学校に通っていたのだからそれだけでも周りから見れば万々歳だったのかもしれない。私にとっては陰鬱な時代だった。

 

こんなことを同級生に言ったことはないが、気持ちが晴れやかになって、本当に楽しく学校生活を送れるようになったのはそんな小学校時代の私を知る人が結構減った高校生になってからだと思う。

掛け値無しに私と向き合ってくれる人が増えたからなのだと思うし、私もそんな自分の置かれている現状を受け止められるようになったのだと思う。

 

父には厳しいことを言うようだが、腰を早く治してほしいし、元気でいてほしいのだが、果たして目の前にすると、娘たちの手前、そんなことを言うことも憚られた。

 

大学に行き、社会人になって、地元企業を辞め、地元を遠く離れて仕事をして、アメリカに住まい、東京に戻って、そうこうしてる間に20年以上も経ってしまった。

 

地元はいつまでも私の地元だが、諸事情あり、実家にも泊まれずホテルに泊まらざるを得ない現状、もはや、帰る場所を失ったかのような気持ちになる。

 

20年ぶりだかに泊まった地元のホテルはコロナ禍で改装されて綺麗になっていて皮肉なことに泊まりやすかった。

 

「地元を離れた人間は帰る場所を自分で確保しておかなければそれはいつか無くなるのだ」というのは昔から思っていた。

 

だからこそ、定期的に地元に帰り、家族や親戚や友人たちと会ってきた。しかし、親しかった地元の友人たちとはコロナ禍を経て、会う機会が減り、それぞれの子供も大きくなり昔のように会いづらくなってしまった。年賀状を送っても全てが必ず返ってくるわけでもない。そう言えば喪中のハガキを3つももらった。そういう歳頃なのかもとも思う。

家族が増えれば、そうなってしまうものなのか、とも思う。いつまでもずっと友人同士の付き合いを続けられると思っていた私はもしかすると、ちょっと欲張りというか、傲慢なのかもしれない。全てを望んでも手に入れることはできない。

父は妻を失い、また、父母を失い、もはや、父には子どもたち、そして孫たちしかいない。そして、孫、つまり、私の娘たちは離れて暮らしているし、たまにしか会えない。

今の私に父に何ができるのだろうかと、そんなことをふと考える。

 

言い訳がましくなってしまうのだが、今の自分に出来ることはひどく限られている。実家にサポートに行ければとも思うがそんなに近くに住んでないし、やはり住んでる人でないとできないことが山ほどある。それは大学卒業後、過去15年以上、自分がやってきたことでもある。住んでない人が口出しすべきことではないことがたくさんある。住んでる人のプライドを大事にしながら、遠方まで数万円掛けて帰って色々片付けたり掃除したり出来るほど、私は人間が完成していないようだ。

 

自分とその家族の生活を守ることが今の自分にできる精一杯のこととも思う。果たして、母を亡くした父もそんな気持ちだったのだろうか。

 

 

最近、様々な人の訃報に接することが増えてきた。

駐在時代の妻の友人の旦那さんが亡くなられたという話を聞いた時には言葉に詰まった。同世代だったし、腸が悪かったという。他人事とは思えなかった。

 

駐在時代の同僚の奥さんも癌で亡くなった。同僚は病気が判明した時から、子育てと仕事の日々をシングルファザーとして精一杯頑張っている。ふと、電話したりすると、そんな苦労が伝わってくる。

 

帰任してから間も無くして、私をマーケティング部署に配置した役員さんが亡くなった。まだ若かった。マーケティングがその方のやりたかったことだからこそ、自分は今の部署でその想いを大事にしたいと思って仕事に取り組んでいる。

 

自分もこないだ腸の検査でポリープが見つかった時に、本当にハラハラした。そもそも、大学時代に思い立ってピロリ菌除菌をしなければ、今ごろ私は胃がんで亡くなっていただろうと思う。

 

果たして、私は長生きできるのか?

妻と子どもたちとの幸せな家庭を守っていけるのか?子どもたちは元気に大きくなっていくのか?成長した先に元気に息災に生きていけるのか?

時折、そんなことを考えて怖くなる。

 

今年は新年から、背筋が凍るような地震や事故が相次ぐ。世界を見渡せば戦争もある。アメリカにいた時も、もちろん近場で銃撃事件なんてのも起こっていたわけで、決して自分がそうした様々な危険に無縁だったわけではないのだろう。

 

たぶん、たまたま私はこれまでは運が良かったのだと思う。飛行機事故などを見ると本当にそう思う。

 

そういえば、本厄だということで、厄払いしてきた。信心深いわけではない。困った時の神頼みすらしなくなって久しい。

そもそも駐在期間中、初詣できる霊験あらたかな神社仏閣はカリフォルニアには殆ど無くて初詣も随分欠かしてしまった。

本当に、気持ちの問題で厄払いをしてきたのだが、まあ、確かに自分の気持ちとして、なんらかの意味はあるのだろう。

日本人の宗教観というのは本当に自分に都合が良いなと思う。ある時はクリスマス、ある時は節分、ある時は寺でお参りするし、神社に参拝する。

様々な点で人生のターニングポイントなのかもしれず、気を引き締めていこうと思う。