筆マメ。

文通ってやったことありますか?
最近では、文通をやったことがない人も結構いると思います。私は昔、たまにしか会えない人と何人かとお手紙を交わしたりしていましたが、最近では筆を取ることもすっかりなくなりました。

大学生になって以降は、もっぱらWeb上に文章を書き散らしては、そのコメントをいただく、という形に落ち着き、更にそれはTwitterなどに移り変わり、ここ一年はTwitter経由で人とお会いすることも何度もありました。中にはとても楽しい方もいらっしゃって、ビール飲みに行って話したりしてる。

こうやって、見ず知らずの人に会いに行くのは面白い一方で慎重にもなります。社会人になってからは、余暇時間が貴重です。アフター5なんて無い日も結構ある。そんな中で、会ったことがない人と食事や飲みに行くというのは、ひょっとすると楽しくなかったらどうしよう、とか、逆に相手に不快な思いをさせたらどうしよう、とか色々と考えてしまうわけです。それでも、これまで会ってガッカリしたことは一度もなく、むしろ、話が盛り上がって終電間際になったりすることも結構あるわけです。

先日もWeb上だけでやりとりしていた、ずっとお会いしたことがなかった人とお会いすることがありました。文章というのは不思議なもので、その文章を通して相手のことを知っていると、お会いした時にお話していると、やはりその人の知性や人柄というのはたとえ短くてもその人の文章から滲み出していて、文体だとか、文脈だとか、そういうものが、きちんと相手の中にあって、それが表層化したものが文章になっているのだなあ、と感じるのです。だから、事前にその人の文章から抱いていたイメージというのは往々にして裏切られることがない。人間は文章で人格を取り繕うことは出来ないのですね。よく行間を読む、とか言いますが確かに文章の文字面だけでは伝えきれない何かを読む側に伝えているということなのだと思います。

結局、話しても話しても飽き足らない、という感じになりました。これって、とても不思議ですごいことなんだろうなあ、と思うのです。遠くに住んでいる人とも会おうと思えば会えるし、雲の上の人、と思っていても同じ人間、直接言葉を交わすことだって、やろうと思えば出来るのだなあ、と感じるのです。実際、Web上での言葉のやりとりを遥かに上回る情報量が直接会った時には入って来ます。
交通手段も発達し技術も進歩して豊かになった時代、直接人と会うこともまたより簡単になっているのだなあ、と感じるわけです。その気になれば、大抵の人には会える。

話は変わりますが、私は知性を感じさせる文章を書く人に憧れます。自分の知らないことを知っている人や、激しい弁舌を振るう人も自分には無いものを持っているのだなあ、と尊敬の念は抱きますが、それ以上に、落ち着きと礼節をわきまえた文章を書ける人、そんな人に憧れるのです。

誰でも平易な文章やインスタントな写真で自己主張、自己表現がしやすくなった時代だからこそ、改めてそういうことをきっちりできる、ということにこそ、価値が生まれるのではないかな、と思うのです。そのためには、メールでもBlogでもよいのですが、文通であったり、少し長めの文章を書くのが良いのかなあ、と思うのです。
と言うわけで、しばらくBlogもマメに更新していこうかな、と思います。
私のような普通の人間の記事を読んでいてくださる方がいらっしゃるということを忘れずにいたいな、と思う次第です。