慌ただしい日々

石川にも鳥取にももうしばらく行くことはないのだろうな、と考えると感慨深いものがあるが、飛行機に揺られながら今月の予定を見てはため息が出てしまう。忙しいのは嫌いじゃないし、壮行会で予定が埋まるなんて幸せもの以外のなんでもないけど、しばらく会えなさそうな人も何人もいる。悔しいし、寂しい。人間関係には優劣はつけられないながらも、それでも予定が合わない人がいたりするのはとても残念だ。
映画を観たり、本を読んだり、ジョギングしたり、自転車に乗ったり、といった自分の好きなアクティビティはさっぱり出来ていない。
短時間ではあるが英会話に通ったり、粗大ゴミを出す準備をしたり、引越し荷物の選定をしたり、大電圧対応の変圧器を手配したり、電気、ガス、水道、NHK、NTTフレッツ光、YahooBBの解約手続きしたり。
あ、そうそう、米国の就労ビザはかなりあっさりと取れた。米国大使館での面接は2時間待たされて5分で終了、呆気ないものだった。肩書がとってつけたような肩書だったためか、米国大使館の職員からは怪訝な顔をされたが…。
引越しは日通。船便と航空便とトランクルームで荷物を分けられる。

甲府では1年前から一緒にお仕事していた業界の有名人からケーキをもらったり有難いお言葉を頂いたり。家族を大切にしなさいという言葉をもらった。私は仕事に頑張りすぎてしまうという懸念を感じさせてしまっているようだ。

会社の壮行会では厳島神社の商売繁盛のお札や名入れボールペンを頂いた。うまくいったらお札はお礼参りしないといけない。壮行会の二次会で会社の偉い人達の飲み会に巻き込まれてしまったが、そういう世界を垣間見えたのは悪いことではなかった。久保田利伸のMissingを久しぶりに歌った気がする。生ピアノで歌わせてもらえる贅沢なバーはある部長のお気に入りのお店。また行きたいなあ。

鳥取では時間があったので白兎神社でもお客様との縁結びのお願いをした。次にお礼参りに来られるのはいつになることだろう。
大切にしてきた取引先の皆様からは勢ぞろいで壮行会を開いて頂いたりもした。こちらではもっと偉くならなきゃと思わされた。
また、ブラジルから帰ってきて転職してしまったTさんも壮行会を開いてくださり、有難いことにシャンパンを頂き、お祝いのお言葉を頂いた。
今回の赴任で、大阪マラソンに出られず、また、大切な人の結婚式に二つも出られない。残念でならない。台湾に赴任してるお世話になった取引先のMさんともどうやら日本にいる間に会えそうにない。
ツイッターで知り合った数多くの製造業の方々とも会える方と会えないお方がいるのはつくづく残念である。急な異動で申しわけない限り。

日本に置いていくことになる家族は心配だ。親戚にも年老いてもう会えないかもしれない人もいる。生まれ育った場所を離れて外で頑張り続ける、というのはこういう時に苦しいのだ、と最近少しずつ感じ始めてもいる。若い時に沢山の刺激的な経験を積ませてもらったほうがいい、というのは沢山の方に言われていることだが、ブレずに笑顔で挑戦し続けたい。