初音ミクやらCGMについてのあれこれ

fbで大学時代の友達が「初音ミク」って何なの!と調べていて詳しいひと募集!と言っていたのでこれは面白いと思って、たくさん動画とか紹介してあげて、色々説明していたんだけど、そうしているうちになんだか楽しくなって来てたくさんたくさん夜中の3時に動画のURLを貼りまくるという嫌がらせみたいなことをしてしまいました。結局50回くらいコメント入れていて、いくら翌日休みだからって良い子はそういうことしたらダメだよ。

んで、色々初音ミクの成り立ちやらをクリエーター目線というか音楽やっている人の心理から説明してみた。けど、なかなかうまくまとめてプレゼンするのって難しい、って思った。普段からこういうことって、頭の中ではぼんやりと朦々と渦巻いているのだけど、きちんとまとめておかないときちんとした形でアウトプットできないのだな、と痛感した。

彼はきちんと初音ミクを「キャラクター」ではなく、「ムーブメント」として理解していたし、私と話す前に既に相当自分で下調べしてイメージをしっかりと掴んでいらっしゃったので私が取り立てて説明することもなかったのだけど。

で、なんでそんな話になったかというとやっぱり元はと言えば、多分このCMがきっかけなんだと思う。



Googleのブラウザ、ChromeのCMはガガ、やジャスティン・ビーバーが既に起用されてきた中で、初音ミクという題材を取り上げて一気にお茶の間に初音ミクが届いたわけで、これはニコニコ動画の住人たちからすると、やっぱりちょっとしたエポックだったんだと思う。
こんな動画まで作られていました。

元々は初音ミクyoutubeではなくてニコニコ動画で育ってきたものだからこそ、そこは外してほしくはない、というのがニコニコ動画に生息するクリエーターたちの声でしょうけど、そういうものがchromeのCMにないのであれば、自分たちで作ってしまえばいい、という発想がまたクリエーター魂を感じますし、無碍に中傷がなく、批判コメントも少なく、どちらかというとCM自体は好意的に迎えられているのだなあ、と感じました。


このCMを手がけたのは博報堂の人たち、というのも結構広く一般人にも知れ渡っているようで。

http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/chrome-miku.html

今回友達と話してた内容はおおむね上記のブログのインタビュー記事に書かれているので、それ以外に何か話していたかなー、と考える。

北米トヨタのCMも貼っておきます。トヨタさん、どうしたんすか、という話なんだけど、このCM自体は特に初音ミクトヨタ車の関連性があまり感じられない。初音ミクのCM、だと見てしまうこともできる。ここに創造性はあまり感じられない。話題性はあるので、話題を起こしたいときにはこういう宣伝広告もありなんでしょうけど。


・クリエーターは嘘が嫌い
結構、ニコニコ動画界隈の人たちって嘘が嫌いなんですよね、笑いに変えてしまっていればありなんでしょうけど。あと、一度嘘ついて嫌われるともう批判コメントばっかりになって、活動なんてできなくなる。この辺りの批判のされ方、集中の仕方は2chに近いニコニコ動画ならではの炎上の仕方をする。そんでもって、これまで4年くらい初音ミク界隈の動画を見て来てやっぱり去っていくクリエーターやら演奏者やらがいるわけですよ。そういう人たちがなぜ去らなくてはいけなくなったか、というとたいていクリティカルな嘘によって炎上して撤退いなくなる人が大半なんですよね。

この動画なんかがいい例ですよね。その後、メジャーデビューを果たすsupercellのryoが書いた「メルト」という曲をバンドアレンジした曲を「歌い手」と呼ばれる人が歌いましたよーという曲。面白いのはバンドアレンジをしたのはあくまで個々の演奏者なんですよね。この曲は当時私もmixi伝いで知ったのですが、大変ショッキングでした。なんせ、動画の同期やら演奏のレベルやら素人とは思えないクオリティに達していたわけですから。でも、結局、この動画で演奏していたり、歌っていたりした人は活動をやめてしまった人もいるのですよね。歌っていた歌和サクラという女性ボーカルはネットのインタビュー記事で「学生ですし」という発言をしたものの、結局、彼女自身はセミプロ?としてユニット活動などを行っており、itunesで楽曲も買える状態でばれてしまった、とか。やはり嘘がばれたことで、批判にさらされ、彼女自身はニコニコ動画での楽曲アップは行わなくなってしまいました。(釈明もなかったはずですが、追認したものと見られても仕方ないのでしょうけど。)

その後の、歌ってみた動画の人たちの立ち振る舞いを見ていると「嘘はあかんのね」という共通認識はある程度できているのかなー、という気もします。歌詞を盗作していて自作詞だとしてHPに掲載されていた歌い手さんが引退に追い込まれたり、ぱくったわけではないのだけど、バクリ疑惑がかけられて活動が出来なくなった人も結構います。J-POPってある程度似てしまったりエッセンスが出てしまうのって仕方のないことだとは思うんですけどね。

・礼儀作法大事
楽曲を作る作曲家である「P」が曲にただ乗りして再生数やファンを増やす「歌い手」のことを快く思っていない事例なども散見されており、楽曲を使った動画をアップするときは一応出来る範囲の手段で了承を取るように、というのが共通理解としてあるようです。でも、こういうのも徐々に整備されていったことなんでしょうね。

DTMからの歴史的変遷
下記のツイートにも代表されるようにボーカロイドのヒットの歴史をひもとこうとすると、どうしてもMIDI音楽愛好家たちの話をせざるを得ません。
https://twitter.com/#!/Agano/status/20007603033

今でこそ、コンシューマジェネレイテッドメディアなんていうかっこいい言葉でまとめられていますが、昔はDTMという言葉すらなく、いわゆるMIDI音楽を楽しんでいる人たちが自作曲を自分たちのHPで個々に発表してお互いのHPを行き来して、掲示板で紹介しあったりしていたわけです。
MIDI村が日本各地に点在して、細い道をみんなが一人一人行き来して、往来していたので広がりがなく、知っている人は知っているけど、知らない人は全く知らないということが起こっていたんだと思います。
そして、90年代の小室哲哉を中心として打ち込み音楽の全盛となり、DTMの手軽さも増し徐々にMIDIに取り組む人は増えていったわけです。この頃はまだ打ち込みはPCではなかったりするし、ソフト音源ってのがなかったりとか色々あるんですが、そんな話はさておき、アマチュア作曲者たちがJ-POPシーンに憧れて「そういう曲」を書くときに一番悩ましかったのは、この曲を小室哲哉がそうさせているように、俺も「女性ボーカルに歌ってもらいたい!」という渇望のやり場、でしょうね。メロディだってつけたし、伴奏だってつけたし、その年代にあった楽曲が目の前にあるのに歌ってくれる人もいないし、録音する技術もない、機材もない、というひとたちが世の中には潜在的にたくさんいた、ということになります。DTM宅録が手軽に出来るようになっていったのは95年くらいでしょうから、07年の初音ミク登場までまさに10年にも及ぶ長きにわたって、DTM村の人たちは「自分たちの曲を歌ってくれる女神」を探していた、ということになります。この衝動ってちょっとやそっとの熱量じゃないと思うのですよね。ここのところを理解しているかどうかって結構、Everyone,Creatorというコンセプトを理解するのには必要な要素なんじゃないのかな、と思います。

で、初音ミク以前にも音声合成ソフトというのは存在して