祖母の話。

私は8歳のときに実母を癌で亡くしました。

以来、父方の祖父母の家で父と妹の家でお世話になっていました。母方の祖父母は早くに亡くなりましたので、父方の祖父母しか頼ることができませんでした。
祖父母はずっと元気でしたが、祖母は私の母を亡くしたショックで徐々にアルツハイマーの症状を見せるようになり、その症状は日増しにひどくなっていきました。
小学生の時、私の日課は学校から帰ってきたら祖母に遊んでもらう、のではなく、祖母が徘徊してどこにも行かないように見張っておくことでした。
私は祖母に面倒を見てもらった時間よりも祖母を看る時間のほうが長かったともいえます。祖母の手を引いて、夕暮れ時になると家に連れて帰るわけです。私がそのころ、一番祖母のことを看ていたはずですが祖母は私の名前を一番先に忘れてしまいました。

祖母がアルツハイマーだということは子供心に理解していましたが、やはり「名前を呼んでもらえない=認知してもらえない」ということはとても悲しいことなのだなあ、と感じました。

祖母がアルツハイマーにかかってから、
徐々に体を悪くして寝たきりになるまでの期間は私が8歳のころから、大学2年生のころまでだったのでおおよそ、13年にも及びました。その間、祖父はずーっと小さかった私たち兄妹を育て、祖母の面倒を見ていました。
私が高校生の頃、祖母は徘徊していて転んでひざを怪我してしまい、そこからはすっかり寝たきり生活になってしまいました。(リハビリもできないんですよね、、、、)

13年ののち、祖父はようやく祖母を特別養護老人ホームに入れ、祖父はその後体調を崩し、亡くなってしまい、祖母は私が就職したのちに亡くなりました。
15年にも及ぶ闘病(?)生活を祖母は経験して亡くなってしまったわけですが、そのことを間近で見て感じたことと言えば、アルツハイマーの中期以降の患者を近親者が介護することの苦しさ、つらさ、に尽きるでしょう。

老人ホームに入れるなんて!ひどい、なんて話をする人も世の中にはいるようですが、(かなり減った?)近親者として介護すれば、それがいかに互いの尊厳を危うくするかを身をもって知ることでしょう。

優しくて暖かった祖母のことを私もおぼろげながらに覚えています。
母を亡くして所在なげな私たち兄妹に本当によくしてくれたのを思い出します。

その後の10年以上に及ぶ悲しい日々を
塗りつぶして有り余る思い出。

人というのはうまくできているもので、楽しかった思い出、美しかった過去のことはいつでもきれいに鮮やかに思い出せるのですが、暗く悲しいつらすぎる思い出というのはなんとか忘れようとするものなのですね。

祖母の葬式では涙は出ませんでした。
ただ、「よくがんばったね」と。もう生きなくていいんだよ、と。