バンクーバー 1日目

重たく分厚い雲の壁を突き抜けて、まとわりつく白い霧状の糸になったそれを振り切るかのように飛び立った巨大な鉄の塊はそのまま、青く広がる大きな空へと飛び出した。昨夜からの五月雨が嘘みたいに雲の上の空は青く澄み渡っている。

陽光に照らされ銀色に鈍く光り輝く翼は窓から空を睨んでいる私の目にも微かに刺さる程度だった。空の旅は好きだ。この大空に飛び出した瞬間に乗客はそのまま、外界と隔絶され、目的地まで個々人は思い思いの過ごし方を選ぶことになる。好きな映画を観る者もいれば、深い眠りにつく者もいる。たまにずっと、中空を睨んでいる人間などもいるが、そんな人もいつかそのままの姿勢で眠りこける。気圧の変化で耳は少し聞こえづらくなり、耳抜きをしなければ、そのまま耳栓をしたかのようになる。そんな、状態が長く続けば眠気を我慢していることもバカバカしくなってくる。地球上のどこにいても、携帯電話やスマートフォンでメールが見れ、電話が出来てしまう現代において、飛行機の中は数少ない休息の場所なのかもしれない。これから、Wi-Fiが機内で有料サービスとして導入されていくそうだが、どうかこのまま有料のままでいて欲しいと願うばかりである。

空の旅、と言うととても優雅だが、今回もまた仕事ではある。ある国際的な展示会に自社が出展する際の説明要員として駆り出されたわけだ。私は欧米人と渡り合えるほどに英語が流暢なわけではないが、今回の出張はこれまで「英語を勉強してます」アピールを続けて来た結果なのだと思う。こういった海外出張を好む人もいれば避ける人もいるのだが、私はどちらかというと前者だし、海外に出掛けるのは好きな方だ。大変そうにしながら、海外に出掛けているる自分も嫌いじゃない。言ってしまえばミーハーなのだと思う。

ふと、雲を突き抜けた後の飛行機の揺れる翼を眺めながら航空会社でパイロットを勤めている友人のことを思い出した。彼は既に国際線の副操縦士として、東南アジアなどに出掛けて行っているようで、先日の彼のSNSの投稿した写真はタージマハールだった。タージマハールには私も一度三年前に行ったことがあるが、なかなかにアクセスの悪い世界遺産だった。海外から来た人にとっては熊野古道あたりはそう捉えられているのだろうな。

私が特に親しく付き合いを続けている大学時代の友人で海外出張が頻繁にある人間はそれほどいない。私とて、頻繁と呼ぶレベルには程遠い。せいぜい二ヶ月に一回もあればいい方だろう。就職してから知り合った人や同じ会社の人の中には毎月アジアや欧米へ出掛けていく人もいるわけだが、そういう人たちに比べれば私はまあ、落ち着いたペースでの出張とも言えるのだと思う。

そういえば、一緒にバンドを組んでいたドラマーが、先ほどの副操縦士なのだが、同じバンドのベーシストはこのたび、航空管制官に転職したそうで、二人揃って航空関係の仕事について、しかも交信することもあるかもしれないね、などと話していたのは先日の友人の結婚式の二次会だった。そういえば、その二次会に呼んでくれた別の友人はかなり頻繁に深センに出入りしていると言っていた。みな、それぞれに家族がいて、きちんとした社会人としての生活を送っている。そういえば、あの時、組んでいたバンドはギタリストも国鉄系の堅い職場だった気がする。

ユナイテッドエアラインのエコノミーで私が搭乗した機体にはエンターテイメントシステムが無く、集合ディスプレイの映画を眺めるか、ラジオや音楽番組を聴くか個別の本を読むか、トイレに行くか、寝るか、ぼーっとするか、しかやることがない。暇つぶしにこうして日記を小説風に書いてみるものの、それほどネタがあるわけでもなかった。

そういえば、一昨日は父親と久しぶりに電話で話した。5月の10連休に帰らなかったのでなんとなく電話しづらかったのだが、バンクーバーに行ってくるよ、などと話したり妹が従兄弟と喧嘩した、などという話を聞いたりした。

そんなことを考えていたら、機内食の時間になった。「ユナイテッドの機内食には期待するなよ」、と同行している上司には言われていたがチキン主体の料理は上司が「家畜の餌」と表現するほどまずくはなく、ただ、お世辞にも美味いとも言えないシロモノだった。ただ、時間にすると、夕方なので、晩御飯代わりに食べなくては仕方が無い。さっきのスターアライアンスのラウンジでもカレーライスを食べたものの、やはりラウンジの料理の方がマシのように感じた。飲み物はビールを選び、日本のビールを希望すると、キリンビールが出てきたあたりはなかなかに嬉しかった。日本離発着便だから当たり前といえば、当たり前だが。

窓の外の空は夕方六時にしては不自然なほどに暗くなった。それもそのはず、どんどん日本から見て東に飛んで「前の日」に向かって飛んでいるのだ。時差はマイナス16時間、出発時、17時に空に飛び出したときに、CAはサンフランシスコは午前1時だと言っていた。八時間超のフライトの後、現地は同じ日の朝9時になっている、という。2時間半の待ち時間の後、バンクーバー行きに乗り換えである。みるみるうちに空は漆黒の闇に包まれ、頭上にぽっかりと月が浮かぶようにまでなっていた。(月は無理やり窓から頭上を見なければ見えないが)

なんだかんだで、渡米は初めてである。主な目的地はバンクーバーであるから、サンフランシスコは経由地でしかないものの、それでも、アメリカという場所に行くのはなんだか感慨深いものがある。

それほど頻繁に出張してるわけでもないのだか、ほどほどのペースで出張させてもらえるというのはなかなかにお出かけ好きな私には嬉しかった。どうもオフィスに座りっぱなしというのは私の性に合わないらしい。部長の承認さえあれば、簡単に海外へ飛べてしまううちの会社と、事前に航空運賃や食事代まで記載した稟議書を書かなければ出張させてもらえなかった前の会社では大きく文化が違うのだなあ、と感じた次第。

カナダ バンクーバーは今週はどうも荒れ模様らしく、フライト前に天気を調べたら上司は残念そうな顔をしていた。確かに気候が良ければ気持ち良さそうなロケーションが広がる海辺の街のようで、日本でも雨が降って、到着してもやはり重たい雲が空を覆っているのだとすると、それは確かに憂鬱かもしれない。しかも、少し肌寒いという。事前にアメリカのスタッフからはそういう周知があったことをぼんやりと思い出した。

思えばこの二週間くらいは少し浮き足立っていたが、やはり欧米圏への出張は少し特別だ。その気になれば、土日で行き帰りできる香港、台湾、韓国あたりとはわけが違う。韓国なら日帰りすら可能だ。もし、自腹で行くとすれば往復の航空運賃だけで、10万円を軽く超えるわけだし、宿泊も含めれば場所によっては25万円くらいの出費は覚悟する必要もあるだろう。薄給の人間からすれば、こんな機会か新婚旅行でもなければ、そうおいそれと行けるような場所でもない。今回の出張でスターアライアンスのマイルが10000マイルほどたまるのだが、やはり北米や欧米はマイルがたまるスピードが全く違う。日本国内や韓国ではそんなに勢いよくはたまらない。

スーツケースは今回はレンタルすることにして、マイレンタルというサービスを利用した。先週の木曜日に電話で予約し、土曜日の朝にスーツケースは届いた。6000円くらいかかったが、普段使わない大きなスーツケースにそれほどコストをかける気も無かったのでちょうどよかった。危うくリモワの80リットルの並行輸入品を買うところだったので、レンタルは逆に安く感じた。レンタルしたスーツケースはそれなりに外装は傷が入っていたものの、利用には申し分ない印象を受けた。ジャケット二着とスラックス、シャツも五枚くらい入れた。Twitterでそんなことを話していたら、連泊でクリーニングが使えるなら着替えは二泊分で十分ではないか、と指摘され、なるほど、私の荷造りが下手なのか、と得心がいった。その指摘が荷物が増えがちな女性からの指摘だったので、余計にそう感じたのだが。

19時を過ぎ、消灯された客室内で読書灯を点け、最近買った小説をスラスラと読み終えた。そして、しばし考える。自分も昔はこういう冒険したりする物語を書いたりしていたが、いつの頃からか、そういうことはしなくなり、代わりに音楽が自分の生活の過半を占めていた。曲を作り歌を歌い、ギターを弾き、それはそれで、楽しいものだったし、音楽が私の人生に彩りを与えてくれたことは間違いがない。音楽を通じて出会った仲間は一生の仲間だ。仲間のうち、音楽を志して作曲家になった友人もいる。
自分がもし、また筆を取るとしたら旅を描くのだろうか、などと考えながらも、先ほど読み終えた小説の細かい描写を考えると、自分にいかほどのそうした写実力があるだろうかと思い至る。そういえば、これまでに悲しいことがあるたびにどんどん切ってきた感覚のスイッチ、感受性のスイッチをこのままにしていてはおそらく豊かな表現も深い表現もできず、ただひたすらにくどくどと理屈をこねくり回しているだけなのかもしれないな、と感じる。そもそも、自分が中学の時に描いていたような躍動的な世界をまた描き出せるほどの情動や初期衝動を持っているのか、怪しい。自分に描きたいテーマがあるのだろうか、とも思う。これといって、書きたいことなど、無かったりするのだから。

そう考えながら、はたと、そろそろ仮眠くらいはとっておかなくては、と思う。サンフランシスコに着いたら朝だが、日本時間では夜中で、このまま起きていると、そのまま事実上完徹することになってしまう。それだけは避けたい。目を閉じても全く眠れないのだけど、感覚のスイッチを全て切って狭いエコノミーの座席の中で小さくなって、ひと時の仮眠をとることにした。

唐突に浅い眠りは妨げられ、慌ただしく朝食の準備がなされ始め、暗かった機内の照明が灯り、殆ど強制的に朝を迎えたことになった。到着時刻で言えば朝、窓の外は明るいのだけど、こちらの体内時計はまだ夜中の12時だ。
パンとオムレツとハッシュドポテトとソーセージといういかにもな朝食が出た。
日本時間で考えれば、夜食を食べているようなものなのだけど、身体を現地時刻に合わせるために無理やり食べる。味はそれなりだが、特に感動はない。
ホットコーヒーを飲みながら窓のサンシェードを上に持ち上げると、青空と雲海が広がっていた。かなりの高高度を飛んでいるためか、雲海の下に広がっているであろう海ははっきりとは見えない。そう思いながら眼下に広がる空の下、うろこ雲の切れ目から青い海が見え隠れするのだが、波は確認できず、また、うろこ雲はまるで流氷のような形にも見える。海の果てには水平線が広がり、空と海の境界は少しあやふやに白く滲んで見分けがつかなかった。

もう少し眠らなければと、無理矢理目を閉じてみる。だが、エコノミーに押し込められてる関係で徐々に足が痛くなってきており、身体は油をさせない機械みたいにギシギシと音を立てるかのようだった。なんだか、眠れそうもない。初めての空路なので、景色が見たいから窓側の座席を指定したものの、こういう時に容易に席を立てないのは窓側の席のdisadvantageだ。上司が通路側にすればいいのに…とチェックインの時に言っていたのを思い出した。

税関申告書を書いていると、アナウンスが流れ9時45分に現地に着くと言う。出発が都合一時間程度は遅れていたので、まあ、想定の範囲内だが、トランジットの時間は2時間もない。

次回に続く。