気が付くと30歳になってて、何かと周りでは子どもの話題とか聞くことが多くなった。振り返って自分が置かれてる状況とか考えると、結構、焦ったりして。

仕事は楽しくて、自分が頑張ったら頑張った分だけ結果は返ってくるし、やる気を認めてもらえてるのだと思う。kikiさんって、見た目は冷たそうでクールに見えるのに、案外と仕事には熱いのね、とよく言われる。

仕事ばっかりしてると、ついついあっという間に時間が経ってしまって、やりたいこととか、考える暇が実は無かったりする。あ、沖縄行きたいなあ、とか、北海道いってみたいなあ、とかぼんやり考えてるだけであっという間に週末がやってきてしまう。

そうこうしてるうちに春が終わって夏が過ぎて秋になる。もう猛暑は終わりかけてる?少し涼しくなった。一年がすぎるのが、あっという間だし、最近親が老けたように思う。いや、私も確実に歳は重ねてる。そういう、時間の経過には目を背けたかったけど、そういうわけにもいかなくて、割と真剣に自分の生き方とか考えた方がよくなってきた。いや、もともと、ある程度、考えて生きてきたつもりだけど、それだけじゃダメで、全然ダメで、自分が小さい頃に漠然とイメージしてた将来の自分の感じにはまるでなってなくて、特に私生活、本当にこんなのでいいのか、いや、よくないよなあ、とすごく感じてしまう。本当、そんなに難しいことを求めて生きてるつもりじゃないのに、案外と自分が思い描いてるものがそんなに簡単には手に入らないものだったんだな、安易に考え過ぎてたんだな、と思い至る。何しに、関東に出てきたんだっけ。でも、だんだん、香川にも帰る場所なんて無くなりつつあって。

大好きな連ドラ、あまちゃんで、
「人生は逆回転、出来ないんだよね。」ってフレーズが出てくる。あまちゃん、というドラマ自体にはとても助けられてるし、毎朝正直楽しみで仕方が無いのだけど。

逆回転したくても、できない。戻りたい時間なんて本当はありはしないのに、それでも、あの時ああしていれば、こうしていれば、なんて逡巡ばかりが思い募って、不健康な形でこうして、日記にアウトプットされてしまう。
というか、日記をこうやって書いてる時間すら一日の中で確保できてなかったりする。隙間時間にはツイッターのようなサービスの方が向いてるわけで。長いエントリをそれなりに書くにはそれなりに時間が必要なわけで。あと、毎日議事録やメールで長い文書書いてるので、あんまり、プライベートまで文書書くのに費やす気力が湧かないってのもあるのかもしれない。

日記が好き、って言われると実はとても嬉しかったりする。でも、言いたいことをはっきりと言えなくなって、言いたいことを日記に吐露すると不都合がある年齢になって、知り合いに日記の存在をあんまり公言できなくなった。知ってる人は知ってるし、読んでる人は読んでるけど、ツイッターFacebookで更新通知を書かないと誰も改めて訪問してくるひとは殆どいなくなった。それはそれで仕方ないと思ってるし、割とその方が気楽にいろんなことをかけたりする。
Facebookツイッターでのゆるいつながりが主体になって、日記を強く宣伝しなくなった。こっそりと、でも、誰も読んでないとそれはそれで寂しい、そんな形でこそこそ、不定期にたまーに更新する。そんな形になってしまいつつある。
Facebookはとにかく、ネガティブな話をするには向いていない媒体だ。ボタンにいいね!しかないからね。よくないね!とか、元気だせよ!ってボタンがあってもいいんじゃん?って思うくらい。ツイッターは完全に与太話専用とマーケティング関係にアカウントをわけて、それでも、やっぱりリアルに毎日見てるひとがいる、そんなアカウントで愚痴見せられるのはキツイよなあ、なんて。

仕事の話以外、誰とも話さずに一日が終わることとか、あって、本当にどうでもいい話でもいいから話したい時とかあって、キャバクラみたいなお店が流行るのも何と無くわかっちゃったり。あー、こんな話するようなことって、あんまり無いのだけど、それでもこういうことを書いて残しておかなくてはならないのだと思う。たぶん。

夏が終わって、秋が来る。2013年の秋が。