台湾出張1日目、2日目

日曜日から台湾にいました。

今回は日曜日の朝便で羽田空港を発ち、台北松山空港にお昼に着き、そこからホテルへタクシーで向かい、チェックインしてスタバで昼ごはん食べてから、台北市内を歩き回りました。羽田は晴れてたのに、台北はあいにくの雨。旅先で傘を広げることはあまり無いのですが、今回は仕方なく傘をさしたりたたんだりしながら、台北駅近くを横切って中正紀念堂という蒋介石の建てた建物や総統府や西門町を歩き回りました。ろくに休憩もせずに13時半くらいから、18時くらいまで歩き回ったのですっかり疲れてしまいました。
でも、知らない異国の街を地図を片手に歩き回るのは楽しい。ドイツのデュッセルドルフの時も中国上海の時もそうだったけど、どこに何があるのかわからずに歩き出す時の言いようのない高揚感は他にいい言葉が見当たらない。
駅までは案外と歩ける距離だったのが嬉しかった。本当は地下鉄やタクシーを使いこなせばもっと効率よくいろいろ行けたなあ、というのは後から考えたら本当にそうなのだけど。
台北に住んでる人はタクシーの初乗りや地下鉄が安いからみんな、そんなに歩かないらしいけど。台湾の人に観光地で写真を撮ってくれ、とか英語で言われて、俺も観光客みたいなもんなんだけどな、と思いながらシャッターを切った。西門はいわゆる、東京で言う原宿だとか渋谷みたいなところで、あれこれとごちゃごちゃとしたところに、様々な店が出店していた。見ていてかなり楽しいものでした。台湾の若者の勢いが如実に感じられました。SONYストアにも行って、その日本とは違うお店の雰囲気にアップルストアとはまた違う可能性を感じたりもしました。
ストリートミュージシャンがいたり、若者文化発信地みたいなところを眺めてみたり。レンガ造りの特徴的な建物 紅楼劇場がありました。今はそこは様々なアーティストが作品を売り出すような場所になっていました。
西門町では吉野家ユニクロサイゼリヤワタミやそんなごちゃごちゃしたところを歩いて、帰りに小籠包を食べたくて東門の近くのディンタイフォン本店まで歩いて向かったけど、本店は信じられない混み具合で断念せざるを得ませんでした。たぶん、50人以上待ってた。
意地になって歩き続けてホテルに帰ってると、高速道路の高架下を利用したマーケットが広がっていて、宝石やら植木のマーケットが広がっていた。台湾は起業家が多いとは聞いてたけど、こんなに小物売り商がテーブルに所狭しと売り物を並べて商談してるのを見ると、ちょっと日本とはまた違う雰囲気を感じるのでした。
雨の台北は夜になっても夜市をやってるはずなんだけど、向かう気力も無くて、疲れてベッドに横たわって寝てしまいました。

月曜日早朝から、台北で住みながら仕事している、ある方と会わせて頂きました。その人とは普段はツイッターでやり取りしてるのですが、今回台湾出張が決まった、とツイートしていたら、ぜひお会いしましょう、ということになり、朝ご飯の時間にお会いすることになりました。
その人は昔はアメリカとかに住んでて、日本人なのだけど、転職して台湾に来て、独立して今は自分の会社を経営してると言います。私と同じようにイチバツなのだそうですが、随分と台湾の暮らしに馴染まれてるようで、タクシーでサラッと地元の団地の一角にある豆乳屋に行き、昨日食べ損ねた小籠包や何やらを一緒に食べました。よく営業許可が出るなあ、という立地でしたが…。冷たい豆乳があんなに美味しいとは思いませんでした。思わず目を見開いてしまうほどでした。

短い時間でしたが、初めてお会いする方だったので、自分たちがどうして今の仕事をやってるのか、から、台湾の国の事情や支持政党の話にまでいろんなことをお話ししました。

国の歴史から何やら聞く中で台湾人は皆、後藤新平という人は必ず知ってる、という話がありました。確かに名前くらいは日本史で習うのですが、何をした人なのかイマイチ記憶に無い。そう思って調べてみると、彼は日本が台湾を統治してた頃の総統府にいた都市計画者だったのですね。その経歴は読んでいて心踊るものでしたが、彼は岩手県出身なのですね。なんだか、台湾の人たちが東北の震災にたくさんの寄付をしてくれた理由がわかってくる気がしました。戦争の忌まわしい記憶と一緒に日本人が忘れてることを台湾の人たちはきちんと国の成立の歴史から覚えてるから、日本のことを好きでいてくれるのだな、と。このメンタリティがわかって、台湾がより面白いとより思えるようになりました。もう少し後藤新平のことは勉強しておこうと思うのでした。
その他にも台湾の中国本土からやってきた人たちの中でも、低層階級の人たちが含まれており、そういう人たちが来たせいで治安が著しく悪化したため、当時の台湾のマンションだとか建物は泥棒よけに一階にはしっかりとした金網や格子窓が付けてあることが多い、だとか。最近はそこまででもない、とか。
違法建築がたくさんあって、屋上にさらに家が建ててあることが多い、とか。これは意識して見てみるとかなりの数で、台湾の古い団地の屋上にはさらに建物が建ててあって、わからないようにうまく繋いでるケースや、かなりパッと見てわかりやすいケースなどがあるようでした。
あと、台湾では出窓も違法建築が多いらしく言われてみて、初めて、部屋ほどにも出っ張った出窓があるお家の多さに気付きました。台北では一軒家よりもマンションや団地が圧倒的に多いため、洗練されてない建物はかなり日本でよく話題になる建ぺい率とは無縁の出窓の家が見受けられました。建物からも歴史や文化が透けて見えてくる、そういう視点で海外の国々を見られると、また違った面白さが出てくるのだなあ、と感じ入ったのでした。

また、台湾での頭脳、インテリジェンスが電機系企業に集積していく、という話はなかなか面白かった。頭の良い理系が一番台湾ではもてはやされ、給料も高く、優遇される。そういう人はみんな、エイサーやエイスース、HTCなどの台湾の有名な企業にまず、就職口を探すのだという。案外と公務員は軒並み、世の中では低く見られており、能力の低い大学の文系の人が就職するものだ、という風潮があるという。MRTは私鉄の地下鉄なのだが、国の運営だとどうにも、うまく立ち行かないから私鉄での運営になっている、とか。国鉄はめちゃめちゃゆっくり運転だ、とか。確かに台湾に前回来た時に基隆から台北行きに乗った国鉄はやたらとゆっくり走っていた。一般市民からは国鉄はやる気が無い、と見なされているようです。当然、みんながみんな、ダメな公務員というわけでも、文系がみんなダメと言うわけでもないようですけど。

本省人なかりせば、台北の発展はありえなかった、という話も面白かったですね。中国本土から来た人たちには支配階級層と低層の人たちがいて、治安は悪くなったものの、支配階級層が中国本土への進出や経済発展を希求しているからこそ、台湾は発展していたり、台湾という小国だからこその政治の難しさなどを感じさせるような話でした。中国に対して、反発もあるし、それでいて、反発ばかりして文句言ってばかりなのに、実際には何もしない怠惰な人たちがいる、という話を聞いていると日本と同じような部分もあるし、それでいて、台湾という国を一括りに語ることもまた難しいのだな、と。

某Oさんとはお話をしながら、ホテルまで歩いて戻ってきて、コンビニで珈琲を買い、お別れてし、私はそこから台湾のオフィスに行くことにしました。また台湾に来る時には是非またお茶したいなあ、だなんて思いつつ。

さて、月曜日はオフィスで仕事し、夕方に商社と合流し、お客様とお打ち合わせし、そして、会食に望みました。会食はいきなり日本料理屋からスタート笑。そこから2軒目はスナック、結局、夜中までずーっと台北の森林北路(リンセンペールー)の夜は更けていくのでした。