仕事と英語への雑感

会社でTOEIC IPテスト一斉受験があった。なんだかんだと、スコアは右肩上がりなのだけど、そろそろ頭打ち感もある。
英語公用語化とか叫ばれて久しいが、バブル期大量入社の40代社員が多い製造業においては、英語スキルを求められてこなかったおじさま方が割合として必然的に多くなるため、そこそこの能力があることを示せる800点前後は何かとメリットも多くなってくる。
実務ではメールライティング、電話リスニングも会議でのスピーキングも難なくこなせていてもTOEICスコアが低いと「英語ダメな人」とレッテル貼りをしがち、されがちなところは悩ましいところである。逆にこのスコア付近まで到達して感じるのはTOEICに特化した勉強さえしてしまえば1年で100点くらいはスコアUP出来てしまうのだが、ハイスコアを出せない人は勉強やる気ない人なのね、と思われてしまいがちだ、というところでもある。これは非常に面倒な話だ。日本や韓国でのTOEIC活用率は恐らく大企業に限って言えばかなり高い率になるのではないだろうか。私もスコアなど関係ないと思っていた時期があったが、全然世の中はそうではない。BtoBの大企業がセールスに求めている英語スキル、いや、TOEICスコアは年々高まるばかりだ。

注意したいのはリスニングとリーディングに特化したTOEICは仕事が出来るかどうかの指標にはならないことだ。相関関係も殆どない。TOEICスコアが高いのと、英語を運用してお仕事が出来ることは全く別種の話なのだ。TOEICでメールを書くお作法を学べるわけでもないし、電話のお作法も学べるわけではないのだから。だが、なぜかハイスコアはある種の免罪符として機能する一面があるのもまた事実だ。就職試験や中途採用でもTOEICスコアはかなり重視される傾向にある。足切りに使われてると言ったほうが適切かもしれない。試験会場にはおじさまと大学生が大量に受けに来ていてTOEIC自体、主催者側からするとドル箱の試験なんだろうなあ、と感じる。実際、今度入ってくる新人達は軒並みTOEIC750点を超えるスコアラーだそうだ。

来月、初旬に会社がサンディエゴで開かれる展示会に出展する。昨年はバンクーバーで開催されていた展示会だ。当初、上司は私の後輩を展示会に行かせようと考えていたようだ。そこには指導的配慮があるものと推測する。
だが、そのさらに上司の意向で私が行くことになった。別の重要なミーティングにも私を出させるためだそうだが、おそらくそこにはスコアの差やら仕事での英語運用の差が多少出てるのだとは思う。行けること自体は素直に嬉しかったものの、逆に複雑な気持ちになった。サンディエゴには行ってみたかったのは確かだ。もう5年以上前、別の課の同い年の人が北米の展示会に説明員で行っていた時はひどく羨ましく思ったものだった。ミーハーなんですよね、私。それがなんだかんだ言いながら昨年に引き続き今年も後輩を差し置いて駆り出されることになり、後輩の育成上、良いことなのかどうか考えながら引き受けることとなった。後輩は今週末のTOEICを再度受けるそうだ。私は受けてない。スコア差はいずれ埋まるのだろうと思う。後輩と私、日本における実務能力に大差は無いし、逆に後輩に追い付かれないように私がimproveしていかなくてはなあ、と考えてる。

私が6年前、この会社に入った時の「この人に追い付きたい!でも、この人には勝てない!」みたいな人たちは1人、また1人と会社を離れて行った。教育係だった人は転職してブラジルへ赴任、仕事を引き継いだ先輩は公務員に、英語ペラペラかつ、仕事もバリバリできる人たちは1人、また1人と会社を辞め、新たな新天地を求めていなくなってしまった。それぞれの事情があったのだろうし、今職場にいる人たちも英語に自信のある方々はそれなりに揃っているものの、相対的に見て英語以外も含めて、圧倒的なお仕事での力量差を感じる瞬間は徐々に減ってきたように感じている。私の慢心が招いてる部分も多分にあるのだろう。たぶん、まだまだやれることはある。それは仕事においても私生活においてもそうなのだと思う。