娘のこと、妻のこと、母のこと。

日曜日の夕方、娘と2人で近所の公園に行った。最近の娘は1週間ですごく成長してる。平日、あまり一緒に遊べなくなってきたので週末は一緒にいられる時間そのものが結構貴重だ。奥さんは家で晩御飯を作ってくれてる。
娘は最近、少し遊具でぶら下がれるようになった。腕の筋肉がついてきたってことなのだろう。昨日は出来なかったこと、言えなかったことが今日は突然出来るようになっていたりする。まだ2歳になる前だが日々の成長に目を細めてしまうことが多い。家族っていいなあ、とつくづく感じる。
ちょっと前は話しかけても返事らしい返事は無かったけど、最近はちゃんと返事してきたりもする。
ひとしきり遊具で遊んで、日没になるとまだ肌寒い。去年も今年もサンノゼの冬は比較的しっかり冬だ。少し油断をすると風邪をひく。年始には既に娘と奥さんは風邪をひいて、旅行をキャンセルしてる。(それが原因でデスバレー旅行がザイオン旅行になってしまいました)
http://d.hatena.ne.jp/kikidiary/touch/20180124/1516760567

また風邪をひいてもつまらないので、早々に退散する。
娘に声をかける。

「ママがご飯作って待ってるから一緒に帰ろうね」

自分がそんな何気ない言葉を娘に話しかけつつ、こんな日常の尊さを思う。ふと思い返せば、自分にとっては母親がご飯を作って待ってる日常は8歳までだった。

※詳しくは4年前のこの記事にも記載があります。
http://d.hatena.ne.jp/kikidiary/touch/20141026/1414311471

14年前の映画ブログの記事にもそういう話を書きました。
http://blog.goo.ne.jp/kikidiary/e/ee8eee8b9480de453ab4843a576b9e66

最近、自分が親になってから、親の責任の重さだとかそういうことをふと考えることがある。生まれる前もそうしたことを考えたことはあった。出生前診断のことを考えた時もそうだった。娘は元気に産まれてきたが、それでも出生前診断でもしも娘に重い障害があるとわかって産むのをやめようとかそういう話をするのか?という議論になった。結局、出生前診断の中でも簡単なものだけを行い、特別に検査が必要なことはしないでおこうと2人で決めた。もしも、何か違ったことがあってもだからといって産まないという決断は出来ないししたくない、事前に知る必要は無い、と考えた。他の誰かの判断を批判したりするつもりで書いてるわけではなくて、うちはそうしたかったからそうした、という話。

産まれてきた娘は奥さんがきっちり育ててくれていることもあって、すくすく成長し、日々元気に走り回ってご飯を食べてよく眠り、笑顔で日々を懸命に生きている。自分も子育てには関与しているが、やはり平日の殆どは奥さんに任せてるわけで、そこはやっぱり密度も違う。だから1週間経つと娘は別人のように成長してると感じるのだ。

娘をプリスクールに入れようという話は奥さんがし始めてくれた。まだ2歳になる前だし、日本だと普通は幼稚園は3歳から、なのだろうが、早めに娘に他者との集団生活であるとか、規則正しい生活を身につけてほしい、という奥さんの希望だった。正直、私はこの件については情けないことにぼーっとしていたが、奥さんは日々の暮らしの中で娘がどう生きるべきか、どう生きていって欲しいかをあれこれと考えての結論だということだった。モンテッソーリ教育についてよく調べて本も買ってそうした教育が行き届いているところに行かせてみたいとのことだった。
奥さんは本当に沢山のシリコンバレーモンテッソーリ教育の受けられるプリスクールを調べてくれた。料金を比較して、わかりやすくまとめてくれて相談してくれた。
数多くのプリスクールの中でもそれなりにしっかりしたところに入れたい、義務教育ではないからそれなりにお金もかかる。また、人気校は早くから予約しておかないと席が埋まる。送り迎えもあるし、朝早くなるから生活リズムも変えていかなくてはならない。
プリスクールを選ぶために、下見に何度か行ったが、各校それぞれに特色があり、送り迎えの簡便さなども考えた。甲乙つけ難かったが、最後に下見に行ったところだけ生徒の動きがまるで違った。説明を聴き始めた時から、「ここは他とは違うな」と感じていた。
かかるお金も他と比べて一番高いが、どうせ行かせるならきちんとしたところで、と思っていたので即決だった。幸い、一人分は席が空いていたので、入れてもらえることになった。3月から通い始める。

娘が健やかに産まれてきてくれたこと、元気にしていてくれること、そのことそのものが私たちへのかけがえのない贈り物だと思っているが、娘への贈り物はこれからしてあげられるだけしてあげたいと思っている。でも、きっとこれが贈り物だと感じるのは彼女が親になって、その子の人生を考えているときかもしれないし、もっとずっと後かもしれないし、もしかしたら気付かないままかもしれない。

よく考えたら私も小さい頃、母が亡くなるまでは早くからスイミングスクールに通ったり、硬筆に通ったり、公文式に通っていた。夏にはサマーキャンプみたいなのも行った。大変だなあ、とも思っていたが、当時の写真を見ると、それなりに楽しんでいたようだった。(自信に溢れてる顔にも見える)
母が亡くなってからはそういう習い事は行かなかった。父親に文句が言いたいわけではないが、母亡き後、引越したり生活を立て直すのに精一杯だったのだと思う。私自身も転校した後の生活や地域性の違いによるカルチャーショックやら転校生という身分の窮屈さやら母親がいないことによる謂れのないあれこれ、など相当屈折した。つらくて学校に行きたくないこともあったし、ズル休みしたこともある。

ともあれ、母はどういう気持ちで、何を考えて私にあれこれやらせたかったのか、今となっては聞くすべも無い。もしかしたら近所の奥様方に感化されたのか、それとも息子の躍進を願ったのか…期待していたことは間違いないのだろう。母は末期癌でもう生きることが出来ない、と確信した時、そして幼い子どもを2人残して亡くなる前にどれだけ無念だっただろうか。そんなことにもまた夕焼けを見ながら思いを巡らせた。

もう私は母の真意を本人に確かめることは出来ないのだ。でも、たぶん、生来倹約家な父を説得して私に習い事をさせていたのは私に贈り物をしたかったからなのだろうなあ、とふと思う。

私もまたそんなことを娘に対して考える歳になったこと、そんなことで悩める立場にあることそのものを嬉しく思いたい。


こんな何気ない日常がずーっとずーっと続けばいいのに、と本当に思う。
晩御飯の唐揚げはいつも以上に美味しかったです。