母のこと、家族のこと。

母さんの25回忌の法事があったということを妹のfbの投稿で知った。やるとは聞いてたけど。母が亡くなってそんなに経つのか、とふと思い至る。お仏壇にある遺影は32歳の時のものだそうで、私の今の年齢と同じ歳ということになる。次は33回忌だそうで、完全に私が歳上になる計算だ。さらに、祖父の13回忌と祖母の3回忌も兼ねていたそうだ。私がこうしてここで生きているのはこの3人と父のおかげ。父母はもとより、祖父母にも感謝してもしきれない。

幼い頃の事なので断片的にしか覚えていませんが、私の母はある日、突然癌で入院しました。それまであまり喋ったことのなかった仕事熱心な父と二人で暮らし始めることになりました。母が入院したとき既に母は末期癌だった、と知ったのは随分後でした。二人で暮らしていくうちに私は父と自然と仲良くなっていきました。父はきっと辛かったと思いますが、私にはそんなところは微塵も見せませんでした。そして幼かった私は母がいなくなるなんて全く思っていなかったんだと思います。
3ヶ月くらい?の闘病生活の中で、母はどんどん弱くなっていき、厳しかった母は衰弱していきました。ある晩、母が危篤となり、父は病院に向かいましたが、私は寝てしまっており家に置いていったそうです。ただ、本当にもうもたない、ということで、父は私を連れて行くためにまた帰宅し、再度病院に行った時には母はもう亡くなっていたそうです。
母が亡くなった霊前でのことはあまり覚えていません。考えると悲しすぎるから、意識的に忘れようとしたのかもしれません。父との二人暮らしはその後、三か月続きました。
そこから転校し、父方の祖父母を頼り、父の実家で暮らし始めました。団地生活しかしたことがなく、比較的都会に住んでいた身からするとより閉鎖的に感じられた地方の小学校はとても窮屈に感じました。母が居ないことにより、片親であることを時になじられ、いじめられ、つらい小学校生活でした。ある時学校に行きたくない時もありました。それでも父は無理やり私を学校に行かせました。今思うと辛かったけど、行っていてよかったのだと今だからこそ、思えます。祖母は母が亡くなって以後、痴呆症がひどくなっていき、祖母の面倒をみることになりました。この辺りのことはこの記事に書きました。
http://d.hatena.ne.jp/kikidiary/touch/20120329/1332984895

祖父はその昔、宮崎大の農学部を出て獣医となり、その後、香川県の経済連に勤めており、酪農や獣医としての仕事に随分と打ち込み、地区の名士としても名高く、公民館長などの仕事を歴任し私が小学校の時にはよく、体育祭や卒業式で来賓挨拶をしていたくらいでした。私には当時、その凄さがわかりませんでしたが、今、同じことが出来るかというと、きっとそれは難しいと思います。祖父は私の名付け親でもあります。最近もそのエピソードを何度か話す機会を得ました。とても呼びやすい名前だけど、それは祖父の名前がとても呼びづらい名前だったからなのではないか?と言うのが今の私の推論です。もはや、確認する術はありませんが…。

母を亡くしたあと、父はお見合いの話なども結局断り、ずっと独身のままでした。再婚すれば子どもたちをきちんと育てられないのでは?と思った親族からは心ない言葉も結構投げ掛けられたそうです。祖母の面倒をみるために出世を断り部長職に就けなかったりもしました。父は私たち子どものためにとてもそんな役回りを押し付けられてしまったのかもしれません。そんな父に私は迷惑を何度もかけてしまいました。大学を留年し、父の勤める会社に入ったのに2年で辞めてしまいました。そして、結婚してしばらくして離婚し、また父をやきもきさせてしまいました。父が最近とても老け込んでいるのは、何も歳のせいだけではないのだろうな、ととみに感じます。しかし、それでも父は私を応援してくれている。その期待に応えたい、と本当に思います。

私は小さい頃から沢山の別れを経験しすぎてしまったせいで、「普通の幸せな家庭」にとても憧れてしまいます。普通が1番難しいんやぞ、と父は私に言います。父の経験から言われると本当にそうなのだろうな、と思わされます。たぶんそうだと思います。そんなものはたぶんどこにも無いのだとは思います。どこの家庭も何かしらの問題はあるもので、ただ、隣の芝生は青く見えているだけなのだと、アタマではわかっています。私も小さい頃からずっと「普通」が良かったのに、なぜか、いつもそうなりません。少しずつ少しずつズレて豊富な経験や知識は溜まるけど、それと同時に苦しさも感じたりしてきました。求めれば求めるほど、空回りするだけなのかもしれません。でも、やっぱり、普通の幸せというか、楽しみというか、人生の醍醐味というか、そういったものを味わって、人生を楽しみたいなあ、と本当に思うのです。母や祖父母の分まで。父にも出来るだけ恩返ししていきたいな、と思っています。これからどれくらい出来るのかなあ。