2020年の年の瀬に思うこと徒然

2020年も残すところ僅かになりました。

 

WFHからざっくり9.5ヶ月くらい経ちました。色んな意味で2020年はかつてない年になってしまいました。2011年も似た感慨を抱いたものですが、今年のようなことが起こるなんてことはなかなか事前に想像できていた人は少なかったのではないでしょうか。

総じて、人とあまり会わない一年でした。人と会って話をするのが好きな人間としては寂しい1年だったと言っても良いのかもしれません。

 

例年、年末は1年を振り返ることにしていますが、今年は本当に振り返ることが難しい年になりました。刻一刻と状況が変わりました。昨年の今頃はこんな年になるとは予想していませんでした。まさかオリンピックが延期になるとは。1年前の自分に言っても信じなかったことでしょう。

 

1月にCESに行ったりしてる頃はまだ全く何の危機感もありませんでしたが、2月になる頃には危機的な状況になりつつある実感がし始め、サンフランシスコの展示会に行くのすらちょっと怖い…と感じていました。(でも、デトロイトには行ったし、日本からサンノゼに出張者も来ていた)

3月にはついにshelter in place orderが出てまさに、「ニューノーマル」という言葉のもと、日々をなんとか生き抜くことにフォーカスする日々が続きました。妻 にも負担をかけましたし、娘もプリスクールに行けない中で、プリスクールの先生方がウェブでなんとかスクールをしようとしたり、モンテッソーリ教材が大量に送られてきては妻が家で娘の自宅学習のために奮闘する日々が続きました。ストレスを出来るだけ減らすためにiPad Pro 12.9"を導入し、快適にリモートで会話できるようにしました。

 

ただ、日用品の買い物にも困る時期がしばらく続きました。まさか、大量生産大量消費の権化とも思えるような国、ここアメリカでマスクやトイレットペーパーが買えなくなる日が来るとは思いもよりませんでした。(Costcoにうず高く積まれたトイレットペーパーやティッシュペーパーがパレットから一瞬で無くなるのを目にするとその異様さを痛感せざるを得ませんでした。普通は山積みになった「あれ」がそんなに一瞬で無くなるとな思えないわけで…)SIPが始まってから1ヶ月はなかなかトイレットペーパーが買えずに苦労しました。

今ではおおよその物品が不自由無く買えますが、時折、品切れになることもあり、安定的に買えないものがあることそのものにこれまでは決して不安に思うことのなかった海外生活への不安感を覚えました。

 

その後はアメリカの世相や状況は悪化の一途をたどりました。3月頃はまだ「みんなでこの苦難を乗り切り、助け合おう、ファーストレスポンダーをリスペクトしよう」というムードが出ていましたが、ニューノーマルが浸透して、この状況が長期化のムードが立ち込めてくると、人々は黒人の事件をきっかけに街中に殺到し、デモが日々繰り返されました。一体、コロナ対策はどこへ行ったのか。みんなで団結しようという言葉とは程遠い状況に陥り、今に至るまでそれは全く解消されないままに2020年が終わります。

勿論、デモにも街中にも近寄れませんでしたが…自分の見知ったモールのベストバイとかが略奪されたりしてるのを映像で見るのは衝撃でもありました。

大統領選に向けて高まる緊張や分断のニュースが日々報じられ、日に日にアメリカのこれまではあまり目立たなかった(目を瞑っていた?)ダメなところや悪いところが沢山目につくことになりました。ニューヨークやサンフランシスコの路上のホームレス、LAの怪しいエリア、シカゴなどのカビ臭い地下鉄、不衛生な街並み、あまりリニューアルされない街のインフラ。恐ろしいレベルの貧富の格差。道端で寝てるご老人、3kids no jobsと書いてある段ボール紙を抱える子連れの母親。近所のスーパーにまでそんな札を掲げるホームレスが現れたときにはかなり驚きました。

 

世界一の超大国、世界の誰もが住みたいと思い、実際に様々な国や地域の方々が移住してくるアメリカがいかに、「一つにまとまる」ことが難しいか?ということを如実にあらわしたと感じています。元々まとまりなんて無かったんでしょうけども。これが9.11や真珠湾のように「外敵」ならば、まとまって戦おう、となるのでしょうが、今回はまさに見えない敵、うちなる敵、なわけで、そういうわけにもいかず、当の中国はさっさと国の力を最大限に活かしてコロナを収束させており言い募る相手もおらず、アメリカは自分たちの活動を抑えて控えて公序良俗を優先して生活しなくてはならず、この「我欲」を国や周りのために抑えるということが我慢ならない人たちがたくさんいたのだなあと思わされます。

(この辺りはコテンラジオのアメリカ開拓史回https://youtu.be/IH0utufEYE4 を聞くとアメリカ人の気質によるところがかなりあるのかも?とも思わされました。今年はこの人たちのポッドキャストもかなり聴きました。素直に面白い。)

 

働き方も大きく変わりました。

出張にまずもって行けなくなりました。元々、そこまで出張が多いわけではありませんでしたが、それでも1ヶ月に1回か2回は飛行機に乗ることがありましたし、これまでは日本にも出張で最低でも年に2-3回は行くことがありましたが、今年はコロナ前の序盤のラスベガス往復、ミシガン往復、の2回の国内フライトのみとなりました。大の旅好きの自分としてはこれは非常に寂しいものがありました…。

そして、3月半ば以降は出張どころか、近場の客先での面談も無くなり全てがwebexやzoomに切り替わりました。SIPが出る直前の週末に友人のとある方とサンマテオで晩御飯食べてましたが、それが今年、友達と食べたレストランでのごはんの食べ納めになってしまいました。

これもまた非常に大きな変化でした。これまでは何はなくともお客さんとの距離を詰めて、みたいな話だったのが、当たり前ですが、距離を詰めてはいけなくなり、テレカンやSMSやメールでコミュニケーションすることになり、やりづらさが増しました。(とはいえ、私はこうしたオンラインコミュニケーションは得意領域なんですが) そして、社内の打合せや立ち話や雑談が無くなり、ひたすらに自宅でPCに向かって作業する日々が続きました。 

 

以前にシェアした下記記事を思い出しました。こんな日は日本には来ないかもしれませんが。

 

リモートワークが消えた日

https://ascii.jp/elem/000/004/008/4008452/

 

ですが、いきなり腰やお尻を痛め、座っていられなくなりました。

オフィスチェアを導入したものの、やはり座り続けること自体がダメだったみたいで、ローカルの友人がホームデポ買っていた手動で高さを変えられる作業机を導入。立ち仕事に切り替え、モニターも導入し、キーボードやらモニタースタンドも導入。この後、リビングで仕事する時用にノートパソコンの高さを高くできるスタンドも導入しました。HD画質のウェブカメラも導入しました。

最近だとテーブルに据え付けるマイクスタンドとSHUREのSM-58(大定番ですが)とオーディオインターフェースを設置してウェブミーティングの音質向上に励んだりしてます。(マイクやオーディオインターフェースは元々持ってた) テレカンでこういうマイクで話してるとラジオのパーソナリティになった気分でこれはこれで悪くないですね。

 

あれこれと買う中では寝室の壁を飾る絵を買ったり、(朝から気分を高めるために…)、リビングにBoseBluetoothスピーカーを導入し、(これまたなかなかいい音で映画が見られたりと満足度高い)、これまで使ってたコンポと入れ替えたり、寝室に妻のコンポやら本棚を移動させたり、髪を乾かす時の時短のためにドライヤーを少し良いものに買い換えたり、コーヒーメーカーとしてネスプレッソのVIRTUOを導入したりもしました。VIRTUOは妻が決めたお買い物でしたが、コーヒーメーカーは本当にQOLを上げてくれました。休憩が取りやすくなったことや、いちいちコーヒー豆を挽かなくてもよくなり、非常に快適にコーヒーを飲めるようになりました。あまり待ち時間が無いのもいいですね。仕事の切れ目にコーヒーを作ることで休憩にもなります。

低温調理のANOVAも買い、何回かの試行錯誤の末に家の食卓にローストビーフが並ぶようにもなりました。これまた美味です。

とにかく、休みになっても旅行にも行けないし遊びにも行けないし、一時期は公園も閉まっていたので、普段の生活からストレスを出来るだけ減らすことに主眼を置きました。バケーションも今年はろくにとれませんでした。6年が経ち、老朽化の進んだ機械やらが数多くありました。また、割と夜ご飯に各レストランにお弁当を買いに走ることも多くて、何回もAJITOや風月やらに買いに行きました。(チキン南蛮が最高に美味しい)逆にスタバやらコーヒーストアにはめっきり行かなくなりました。会社のビルに入ってるサンドイッチ屋さんも閉まっており、会社最寄りのスタバも開いていません。なんなら会社の最寄りのチポトレは閉店してしまいました。

ただ、平日に妻と家で一緒に食べるランチというのもまた、新鮮ではあります。出張やらが減ったことで家族と暮らす時間が格段に増えたことはWFHの数少ない良かったところだとも言えます。

まだ一歳半の次女ともたくさん一緒に過ごすことが出来たと思います。お風呂に入れたり、夜ご飯食べさせたり…あれこれしてあげることが出来ました。次女の日々の成長を近くで見守ることが出来るのは父親冥利に尽きます。長女もどんどん喋るようになって、英語で会話するともはや、発音は長女が上。こちらが問いかけるようなことは全て理解して返事してくるレベルになりました。毎日プリスクール行く時にはディズニーミュージックばかりかけてるせいで、私の今年のプレイリストトップは上からほとんどディズニー楽曲になってしまいました苦笑。(ライオンキング、アナ雪2etc)  でも、長女の明るい笑顔や素朴な疑問に答えたりする中で気がつくこともいっぱいあったり、妻と喧嘩したらすごく長女が気を遣ったりするのをみて慌てて我々が仲直りしたりするのも含めて、今年は本当に長女の笑顔に助けられたように思う。私が仕事でイライラしてたら顔に出てしまうんだけど、そういうのを娘にも感じさせてしまっていたら申し訳ないなあとも…。

エンタメ話だと、ps4FF7リメイク、ゴーストオブツシマ、ラストオブアス2がプレイできたのもよかった。今年の話題作であり、超楽しくプレイできました。ガンガン睡眠時間が削られましたが…。

 

7月になってしばらくしてから上司が10月に帰任することがわかりました。これでもかという変化の日々です。これまた結構大きな変化で、でも、なかなかこの激しい変化に追いつけてない自分もいたりして。上司はこれまで私の様々な仕事の悩み相談を引き受けてくれていて、とても大きな存在、まさしく「メンター」になっていたことに今更ながらに気が付きました。電話しながらあれこれと壁打ちさせて頂いて、様々な示唆や気づきを得ていたのだなあと。感謝してもしきれません。まさかのwebでの壮行会になってしまい、残念無念ではありました…。

9月には山火事が頻発して空が赤色に染まった時は本当にもうこの生活、無理とも感じてしまいました。幸にしてそこまで長期化はしませんでしたが…。

 

さらに10月から12月にかけてはこれまでの仕事にプラスアルファでマーケティングやらマネジメントやら更には社内の研修的なものやらで割としっちゃかめっちゃかになりました。

なんだかんだでずーっと忙しくしていたともいえます。

あったり前の話ですが、セールス活動とマーケティング活動とマネジメント活動はそれぞれに必要とされる筋肉というか能力や素養が違うのですよね。

セールスでは瞬発力や自省力、マーケティングでは深掘りや熟考力、マネジメント では俯瞰できる力や多角的に捉える力が必要ですよね。それぞれが、それのみで成り立つわけではありませんけども。

自分は元々マーケティング畑と思っていたけど、実際には(あまりイメージ無いとよく言われますが)ここ数年、ガツガツセールス活動をやっており、それらに加えて10月からはマネージャーとしての仕事もあり、早く新しい役割、業務に慣れていく必要があります。

セールス活動も趣を変えていかなくてはとてもじゃないけど、新規のビジネスを立ち上げることが困難な状況で、非常に悩ましくなってきました。展示会などでの偶然の出会い、セレンディピティが望めない以上、新しい売り込み先の開拓も難しいわけです。(アメリカならずともBtoBでは基本的には「飛び込み」は出来ないですしねえ)2021年は様々な新しい試みにチャレンジしていかなくてはならないでしょう。

 

新上司は10-12月だけはローカルの上司、1月からは日本から駐在してくる新上司、のはずが、この状況で新上司はしばらくはアメリカへの引っ越しはせずに日本からリモートでマネジメントするとのこと。対面で会えるのはアメリカがワクチンで収束した場合にでも、2021年の半ばか後半になるんでしょう。それまではサンノゼオフィスのあれこれの雑務(郵便物受け取りとか…)も仰せ付かる感じになりそうです。駐在生活も6年を超えており、まだまだ帰りたくないと思っていましたが、アメリカのこの状況だと、日本の方がかなりマシというのもあって、そろそろ5歳になる娘の教育のことを思うと少々、悩ましくなってきました。ランドセルとか…5歳になったら買うみたいな話も聞くと…

 

サンノゼオフィス自体も最盛期には駐在ローカル含め10人くらいいましたが、あれよあれよと色んなことがあっていまやサンノゼにいる社員は駐在3人、ローカル1人の計4人になり、しかもオフィスに行くことは3月以降無いという状況。(サンノゼオフィス自体の重要性が下がったわけでは決してないんですけども…)郵便物を取りに行ったりすることはあってもオフィスをなかなか活用出来ない日々が続いています。安全には変えられませんからね…とはいえ、勿論アメリカ顧客のサポートはアメリカにいないと時差的にも難しいわけで、そういう意味ではもうしばらく、アメリカにいるのでしょう。そろそろ日本の美味しい食事も恋しいところですけども。今は日本の高い衛生意識も恋しいです。父親や妹、親戚や同級生に娘たちの顔を見せてあげられないのも残念。

また、駐在仲間たちがどんどん帰任したり入れ替わっていったり、色んな人が転職したりして転機を迎えていたりもします。

あとは会社が早期退職募集を始めて、昔お世話になった方々も結構居なくなったりして日本側の景色も大きく変わっていっています。もはや、完全に浦島太郎さんなんでしょうね…

 

年末には久しぶりに健康診断も受けました。いや、毎年受けないといけないものなんですけどね。娘が産まれたりでどうも自分のことが後回しになっていました。おおよそ健康体でしたが、すこし、いわゆるコロナ太りしてる様子なので、2021年は適宜、運動をしていかなくてはなりません。ランニングシューズも久々に更新。NIKEのズームペガサス37を導入しました。暖かくなったらまたロードバイクにも乗りたいなあ。

 

11-12月は年の瀬の業務に追われながら、やるべきことに取り組みました。数年前の悔しさからやれるだけのことはやろうとぶつけまくったものが色々成果として出ていれば、よいのですが。この辺りはまた別途振り返りたいと思います。

 

2020年はこういう年にするぞ、と昨年も振り返っていたと思うのですが、過去の投稿を見ると2020年はどういう年になるかわからないと書いていて、意外と自分の考えてることが違う形ではあるけど具現化したんだなあと…。2020年1月に思っていた姿ではない自分が今いますが、こういうのがあるから人生はまた面白いのかもしれません。これからも家族と自分がくれぐれも健康と安全を維持しつつ、成長していける日々を送れるように2021年も一所懸命に頑張っていきたいと思います。