忖度文化に対する雑感

忖度に関する議論から少し雑感を書きたいと思います。

 

 過去に起きた(現在進行中でもあるが)東芝問題を契機に忖度と言う言葉が大変ネガティブな印象を持たれる言葉として企業界隈では語られることが増えました。

 忖度というのはこれまでは「強い現場」の日本ならではのボトムアップ型組織にあって、大変に機能した時代がありました。しかし、VUCAの時代になり、忖度ばかりされていた幹部層はすっかり自分で考えたり、動いたりすることができなくなりました。人間、上げ膳据え膳では、料理場に立つ機会も無く、料理の腕やカンが鈍っていくのと同じことなのでしょう。

 

はっきり言ってしまえば、「忖度」は今の時代には百害あって一利なしという時代に突入しています。耳に痛い意見を言ってくれる人がどれだけいるか、がその人の今後を左右するとも言えます。

たまたま読んでいた下記記事でもそうした指摘が出ています。

www.nikkei.com

――三菱ケミカルHDの社長に就いて約9カ月がたちました。日本の伝統的な企業の経営について評価する点や課題は何でしょうか。

「人材について必要なものは全てそろっている。知性、コミュニケーションレベルは素晴らしい。ただ他の国で働いた経験を踏まえると階層主義や年功序列を変えたい。自分より上の立場の人に挑む姿勢が十分ではない」

「私は部下が『社長、それは違うんじゃないですか』と挑んでくることを歓迎する。日本は尊重・尊敬と挑むということが混同されている。リスペクトとチャレンジというのは相反することではない。素晴らしい考えも表明しないと会社に貢献したことにはならない

 

 「企業は社長の器以上に大きくはならない」とはよく言いますが、組織というのはトップの性格や色が出るものです。

で、社員が社長や役員に忖度するな、というのはなかなか難しくて、発言を認めたり、容認したり、あとくされなく議論する文化というのはトップにいる人が真剣になって求め続けないと醸成は難しいと思うんですよね。そうした文化の浸透はたまに思い出してるくらいではだめでしょう。

 つまり、忖度する人たちにも問題はありますが、忖度させている側にも問題があるわけです。

「ああ、部下に忖度されているなー」と思ったら、上層部は「私には絶対に忖度しないでください」、と言わないといけない。忖度されると楽ですし楽しいでしょう。心地よいと言いますか。

組織のヒエラルキーの上層にいると、誰でも部下による「上げ膳据え膳」を望んでしまいがちですが、組織の上層部というのは「そういうレベル」のアウトプットを求められている人ではないと思うんで、もっとそうさせないような工夫をチームの上の人がしないといけないと私は思います。

 

「健全な異論」は歓迎されるべきと言いますか。

もちろん、時間がかかって仕方がないですし、なかなか議論は前進しないかもしれませんが、議論しないで、後から「俺はやっぱりうまくいかないと思っていたよ」なんて言うのもやっぱりそれはそれで無いなーとも思います。

 

主語が大きいですが、日本人は総じて、「健全な議論の仕方」を習うところから始めるべきなのかもしれません。